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ブルックリン便り  

日米医療事情くらべ(4)最終回
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保健同人社「暮らしと健康」1982年8月号掲載


短期連載を終えるにあたって、患者にとってはもっとも重要な問題である、医療費の差、医療制度の違いについて述べてみたい。合わせて、日本の保険制度の不備、それ故の医師のジレンマを考える。

初診料1万7千円、入院、手術となるとまさに天文学的数字

 アメリカの医療費が法外といえるほどに高いことは以前にも書いたが、それをここに少し具体的に示してみよう。アメリカは日本のように国民皆保険にはなっていないので、未だに何の保険のカバーもない患者が大勢いる。また、レーガン政権になってから、福祉予算が目の敵のように削られるので、それまであった低所得者への健康保険までも、ずっとカバーされる率が低くなってきている。

さて、ここに何の保険も持っていない患者が、私の勤めているダウンステート・メディカルセンターの外来を訪れたとする。なんとなく体がだるいというのが主訴で、型通りの問診と診察、それに検査として、貧血を調べるための血算と、電解質や血糖など6項目が同時に調べられる血液生化学検査をした。それだけで幾らにつくか、1ドル230円で計算してみよう。初診料が1万7千円、血算が3千円、生化学検査が6千700円、締めて2万6千700円かかるのである。

同じ患者が日本の保険医療を扱う病院ーたいていがそうであるーを訪ねて同じことに対して支払ったとするとどうなるか。初診料が1200円、血算が150円、生化学検査 が2400円、合計3千750円である。
同じ医療行為に対する費用が、アメリカでは日本の7倍かかるわけである。現在の両国民の平均賃金の差があるにしても、アメリカは日本の2倍はいっていないであろう。 これが、入院、手術などということになると、まさに天文学的数字になる。書いているだけで恐ろしくなるからこれは書かない。

日本では、ほとんどの人は何らかの健康保険に入っていて、このもともと安い医療費が、保険本人なら無料に、家族ならその何割かを支払うだけになる。だから、日本バンサイと言いたいところだが、事はそう単純には運ばない。


なぜ医師は患者の訴えもよくきかず、検査ばかりしたがるのか

 日本でいわゆる「悪徳医」と呼ばれる医師が、新聞、テレビなどのマスコミにより非難、攻撃されだしてから久しい。ニューヨークには日本書店が何軒かあり、そこで日本の雑誌や新聞をたまに見るが、その種の記事の見出しは最近とみにセンセーショナルになってきているようである。断っておくが、私はここで問題になっているような医師の弁護をするつもりなど毛頭ない。しかし、不正を働いた医師を糾弾するだけでは問題の解決にはならないと思う。事実、この数年間、不正請求をする医師の数は増加することはあっても、減少はしていない。大切なのは、病気の治療と同じように、原因をつきとめ、それを根本的に直すことである。

その原因は簡単に言ってしまえば、日本の健康保険の医師への支払いの仕方にある。すなわち、この制度は、検査とか薬とかのモノに対しては金が支払われるが、医師の知識、経験、技術などといったモノより大切なもの(少なくとも私はそう思う。)に対しては、何の考慮も払われていないのである。

早い話、非常に神経質な患者で、医学的には何も問題がないという人に30分時間をかけて何も心配をいらないからと説明したとする。その患者が再診であれば、医師に入る収入は390円である。ところが、5分間ぐらいで患者の訴えをうっちゃっておいて、「まあ念のため検査をしておきましょう。」とか何とか言いつつ、前出 の6項目の生化学検査と心電図でもとれば、それで4250円の収入になるのである。これでは医師が良心的であればあるほど収入が減ってくるという、妙な現象が起こっ てくる。

逆に医師が未熟で知識、経験に欠けていればいるほど、不必要な検査をし、また不必要(それだけであれば未だいいが、時には病期を延ばすような禁忌薬のこと さえある。)な薬を出して、より多い収入を上げることが出来るのだ。されに不幸なことには、日本のたいていの医師は、意識的あるいは無意識的のうちに、この不必要な医療行為を生計を立てるために行わざるを得ないのである。戦後のヤミ物資のよう に、違法と知っていてもそれを食べなければ餓死してしまうのである。


いつの時代に医が仁術であったろうか。

 さて、アメリカでは、先に見たように、医療費そのものが、日本に比べ格段に高いのであるが、医師の技術に支払われる額とモノに支払われる額とに分けて比べると、前者が日本のそれに比して倍以上に評価されているのが分かる。具体的に挙げると、初 診料、再診料は、ともに日本の10倍以上であるが、日常よく行われる血液生化学検査、 心電図などの臨床検査は、せいぜい日本のそれの4〜5倍止まりなのである。さらに、医師の技術に対する評価は、全国的に統一された卒後のトレーニング・システム、そ れを終えてからの専門医試験によってなされている。すなわち、医師の求人や報酬の 決定はたいてい、専門医試験に合格しているか、あるいは受験資格を持っているか (トレーニングを終えている)ということに左右される。

 今まで述べてきたように、確かに日本はアメリカに比べ医療費ははるかに安く、また国民皆保険ということもあって、医療の国民への浸透度はアメリカに優っているかも知れない。しかし、その内容を見ると、モノ中心の支払い制度のため、医療の質を落 とさざるを得ないように出来ているのである。ここで必ず出てくる意見が、「医は算 術ではなくて、仁術である。」とモラル論である。しかし、いつの時代に医が仁術であったろうか。なだいなだ氏が何かに書いていたが、江戸時代の医師というは、現代 の医師に比べ、いわゆる庶民層との収入の差は比較にならないくらい大きかった。それでも、仁術を施していたように信じられているのは、貧乏人からは金は取らず、金持ちから好きなだけぼったくっていたからだと言うのである。もしそれが仁術と言われるものなら、医師にとってこれほど都合のいいものはない。


医師のモラルを期待しているだけでいいのだろうか

 もちろん古今を通じて、まったく自分お経済的なことを度外視して、患者に尽くした 医師は現に存在していて、それが本になったり、ニュースになったりしているが、そういうことが話題になること自体、いかに「仁術」を施す医師が例外的であるかを示 しているのではなかろうか。あまり精神的な面ばかりを強調し過ぎると行き着くところは、戦時中の特攻精神みたいに、純粋ではあるが非常に持続性のないものになって しまうように思う。現実的であり、かつ持続性のある打開策は、患者そして医師の両 者がある程度満足できる新しい制度を作ることである。そして、その第一歩は、現在のモノ中心の健康保険制度を技術中心に変えることであると確信している。

 
こう書いていくと、いかにも私自身が非常に打算的な人間に見られそうだが、もちろん私も医師の端くれだから、この職業が普通以上に厳しいモラルを必要としていることは十分承知している。だがその一方、最近の日本の状況、あるいは世界で一番モラ ルお低下している街といわれるニューヨークでの経験から、果たしてモラルなどとい うのは、教育可能なのだろうかと考え込んでしまうのである。なるほど、基本的な人 間の最低限の道徳というのは、初等教育の段階で教え込めるだろう。だが20歳を超え た医学生に、医師の良心があるなら、合法的に請求できる10倍の収入 (350円vs4250円の例)を断念しなさいと言って何割の者が納得するであろうか。


頑固でわからず屋の医師の意見を変えさせるために

 さてこれまで4回にわたって私の日米両国における医師としての体験から、さまざまの事を書いてきた。なぜ私がこのような事柄を、医師ではない人々に対して書いてき たのだろうか。人はこれらの文章を一読して、私を医事評論家か何かと思うかも知れない。しかし、評論家というのは、私がもっとも嫌うところのものである。評論家は解釈はするが、現実の問題の解決には屁のつっぱりにもならないからだ。

 私は現役の臨床医である。それもまだ30歳になったばかりで、あと40年以上たっぷり現役として活躍できるピチピチした精神と肉体を持っている。そして私は、米国が医 師にとってより快適な国であっても、やはりこちらでのトレーニングを終えれば、日本に帰るつもりでいる。日本に帰り、自らの手で少しでも日本の医療を改善したいと思っている。そのためには、これまで医師の間で当然とされていて、患者までそれが 正しいと思い込んでいる矛盾ー例えば学位制度がそのいい例だがーを、まず医師以外の人々に理解してもらわなければならないと思ったのである。現在の日本お医学界を牛耳る頑固で分からず屋の医師の意見を変えさせるには、医師以外の多くの人達の世 論の後押しが必要なのだ。私は商業的なマスコミを根本的には信用していないので、そういうところが取り上げる前に、自らの稚拙な筆をとった次第である。

 個人的なことになるが、私の父は開業医だ。だから二代続きの医師なのだが、祖父の代になると、父方も母方も大阪商人だった。大阪商人といっても、山崎豊子がよく書いている船場商人のような由緒正しいものではなく、もっと泥臭く、人間臭く、それが故にエネルギッシュな商売人である。だから、多分、私にもその血が流れているは ずである。実際、私は「転んでも、両手で砂をつかんで起き上がる。」という大阪商 人の生き方に非常に共感を覚える。この精神で、これからも、「患者のための真の医学」のために寄与していきたいと思っている。

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木戸友幸
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