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ブルックリン便り  

ボタン フランスの謎(11) ボタン

 
3)フランス人は博愛主義者か?
 自由、平等の次に博愛が来ると、その通り、これらはフランス共和国の合言葉、三色旗の青白赤の色で象徴されるフランス革命以来の国の方針である。ところで日本で博愛と訳されている「フラテルニテ」というフランス語は誰でも愛しましょうという意味合いの強い「博愛」よりも、「兄弟愛」あるいは「連帯」と いった意味合いの方が強いのである。この誤訳はまた別の問題であるが、フランス人は決して博愛主義者ではない。それに近いのはむしろ米国人である。見ず知らずの米国人と話し始めて、よほど嫌いになられない限り、10分も経たないうちに向こうから人なつっこくファーストネームで呼んでくれと言ってくる。しかしフランスではフ ランス人同志でも少なくとも何カ月かの付合がないとファーストネーム(プレノン)では呼び合わない。ましてや職場では上司をプレノンで呼ぶなどとは論外である。( 米国ではごく一般的)これは単なる社会的な風習と言えるかも知れないが、フランス人は日常でも初対面の人、特にそれが外国人であればなかなか打ち解けない。日本人にとってはフランス語という言葉の壁もあって、フランス人の態度は(少なくとも日 本人の目からは)非常に冷たく感じられる。そのため、日本人の仕事での赴任者にはフランス人嫌い、またそれがこうじての神経症になっている人が多い。筆者の外来にもこういう患者が多く来院した。しかしフランス人はいい関係ができてしまうと、けっこう面倒見もいいし親切である。ただそういういい関係が出来てからも、気まぐれな性格である人が多いようである。例えば、職場の秘書でもある日それこそ一日中機 嫌がよく愛想がいいいと思うと、翌日、夫婦喧嘩の後のように不機嫌で口も聞いてくれないということがしばしばある。ある精神科医の説によると、これはフランス人が 憂鬱型のゲルマンの血と陽気なラテンの血を半々に持っているからしいが、筆者の実 感としてはまさにこの通りだと思う。
 さて、これまで述べたようにフランス人は博愛主義者とは言い難いのだが、「フラテルニテ」の本来の意味である「兄弟愛」あるいは「連帯」という点ではどうであ ろうか?これこそがフランス人の特質なのである。フランス革命からの伝統とでも言うか、フランス人はストライキやデモとなると未だに血が騒ぐようである。68年の5月革命然り、つい最近の95年暮れの一カ月にわたるゼネスト然りである。95年 暮れは筆者はパリに居住していたのだが、公共の交通機関が一カ月間まったく無くなって、郵便までもが極端に遅滞した。パリ市民はもちろんブツブツ文句は言うが、ストへの公然たる非難は非常にまれであった。これがヨーロッパ全体の特徴かというと、そうではない。その証拠に当時、フランス以外のヨーロッパ各国の新聞の論調は「フランスは財政建直しの責任を未来に先送りした。」とか「文明国の責任を放棄した。」といったような最大限の非難を表したものであった。ロシア革命直後ならいざ知らず、事実上この世から共産主義国が消滅した現代で百万都市で一か月のゼネストをうてるのは世界中でパリのみである。そういうわけでフランス人のフラテルニテイーは今も立派に生きている。しかしフラ ンス人には博愛精神は無い。

4)フランス人は恋愛術に長けているか?
 これは文句なしにウイである。日本人とはもう比較の対象にならないくらい、アメリ カ人と比べても大人と子供の勝負である。フランス人にとって恋愛は食べることと寝 ること(純粋に!)と同じくらい大事なことである。日米のように独身の若い男女にとってだけにとって恋愛が最大の関心事なのではない。老人にとっても、既婚者(男 女共!)にとっても恋愛は最大の関心事である。筆者が勤務していたパリ、アメリカン病院の同僚医師達もその例外ではなかった。筆者が敬愛する元内科医、現代日本を 代表する文芸評論家の加藤周一氏の自伝、「羊の歌」に戦後すぐの彼の医師としてのフランス留学時代のエピソードにこういうのがある。加藤氏の師事するフランス人教 授が回診で若い女性患者の前に立った。その患者の胸の診察をしながらその教授が「 あなたの胸は何と美しいことか。」と真面目な顔をして言ったというのである。フラ ンスで仕事をする前は筆者もまさかと思っていたが、これに類することはパリの病院で何度も目撃した。もっと驚くのはそう言われた女性患者が恥ずかしがるどころか、誇らしげによりぐっと胸を突き出したことである。
 筆者の診察室の備品を毎日何度か点検してくれる50代後半のフランス人の看護婦がいた。彼女は東洋から来た年下の医師にフランス文化を教え込もうという情熱に燃えていたのか、あるいは彼女自身がフランスの伝統に忠実に従ったのか、なにしろこまめ にフランスの習慣について筆者に講義をしてくれた。ある時、米国のセクハラについ てのことが話題に挙がった。彼女はその時「フランスにはセクハラなどという言葉は 断じて存在しない。」ときっぱり言い放った。フランス人は男女共に性的なほのめか しあるいは身体的接触を積極的に頻発する。それが嫌なら嫌だと率直に伝える。そう言われても根には持たない。だからハラスメントにはならないのだそうだ。この考え 方は庶民からルモンドの論説委員までまったく共通しているようで、例のクリントン大統領のルインスキースキャンダルの際にルモンドの社説は徹頭徹尾クリントン擁護 の論調であった。
 さて、そういうフランス人の恋愛術の基本は何であろうか?筆者の観察し得たところ では男はまめさで女はセクシーさのようである。これは基本であって応用編としてはクールであったり、優しかったり、シックであったり、派手であったりする。男女ともに恋愛に欠かせないのが会話である。特に男はその場に合った会話をリードできなければまったく相手にされない。もちろん食事の時も食事そのものと同じくらい会話 が重要視される。その会話の内容は高校生くらいになれば知的でユーモアに富んだも のを要求される。日本でも米国でもフランス人の恋愛というととかくその結果である セックスのことを語る。確かにフランス人はセックスに関してもあまりタブーを持っていない。既婚者同志の昼下がりの情事など当たり前で不倫などという言葉ももう色 褪せたものである。しかしそうであっても、フランス人が本当に情熱を燃やすのは恋 愛のプロセスの方である。だから同性同志の恋愛談議で中心になるのは、そのプロセスの自慢であったり、批判であったり、相談であったりでセックスそのものはあまり 話題にならない。
 フランス人は恋愛術に長けているというよりも、彼ら(彼女ら)にとって恋愛は生活 そのものといった感じなのである。

5)フランス人はおしゃれか?
 これもウイである。服装についての「おしゃれ」の三国比較をしてみよう。日本のお しゃれは平均的には商業的な流行を追うことを言う。米国、フランスでは商業的流行も追うが、個人的な好みの方がより重視される。米国のおしゃれの基本は70年代から 「ドレス ダーテイー」であり、その代表が着古したジーンズである。フランス人のおしゃれの基本は何と言っても「セクシーさ」である。ミニスカートは思い切り短か く、ロングスカートのスリットは太股まで切れ込んでいる。パーテイーの時のドレス の背はほとんどウエストラインまで空いているし、それに合わせたハイヒールは思い 切り先がとんがり、ヒールは20センチの高さがある。このように、これらはすべても ちろん異性を意識したセクシーさである。男性も米国人や日本人に比べればずっとお しゃれであるが、悲しいかな男性の服装には女性ほどの多様さがないので、やはりおしゃれは女性にに関してのことが中心になってしまう。フランス女性のおしゃれはとびきりセクシーではあるが、けばけばしさはない。シックなのである。色は圧倒的に黒が多い。黒のドレスに、黒のコート、それに黒のハイヒール、口紅の色とイヤリン グとネックレスだけが派手目とくれば完璧なパリジェンヌである。黒ばかり着ている と画一化されて何の個性もないように思われるかも知れないが、それが筆者のようなファッションに無知な者が見ても、その着こなしに明らかな個性が感じられる。
 学生は出来るだけ金をかけないで工夫をこらして着こなし、仕事を持った40代50代の女性は当然それなりの金をかけたおしゃれをする。学生には若さという武器があるに もかかわらず、パリでは中年女性の少々元手がかかったおしゃれが明らかにその若さに勝っているようである。ファッションに詳しい知人によると、パリでは金と少しの情報があれば誰でもおしゃれになれるそうだ。それはパリには名の知られたプレタポ ルテ(既製服)の店が数多くあるが、評判のいい店で馴染みになれば、まず間違えなく垢抜けしたおしゃれが可能であるそうなのである。その評判はカットで決まるそう で、これはパリの店以外は真似できないらしい。プレタポルテでも身体に合わせた手直しはしてくれる。こういうことはパリの女性(在留邦人も含め)にとっては常識らしく、ソルド(バーゲン)の季節には有名店には長い行列ができる。

6)フランス人はおしゃべりか?
 フランス語は論理性を尊ぶ言語である。街のキャッフェでのおじさん同志の会話を聞いていても、主題は「バカンスを山で過ごすのがいいか、海で過ごすのがいいか?」 といったような他愛無いものが多いのだが、三段論法を駆使して、大真面目に何時間でも議論している。もちろん街のキャッフェのおじさん、おばさんだけではなく、フランス人は労働者から学者まで押しなべて議論好きである。しかし議論や情報交換とは言い難い単なるおしゃべりもフランス人は大好きである。女性は日、米、仏と国を 問わずとりとめもないおしゃべりが好きだが、フランスでは男性も女性に負けず劣らずおしゃべり好きである。医師もその例外ではない。筆者が勤務したパリ、アメリカ ン病院の同僚医師はほとんど男性だったが皆そろっておしゃべりだった。筆者の患者から聴いたところによると、フランス人医師は診察中でも話題がどんどん診療のこと からそれていって、患者の方から軌道修正しないと雑談だけで診察が済んでしまうこともあるらしい。
 筆者はパリ時代、病院へはバスで通っていたのだが、パスの運転手も喋り好きである 。顔見知りの乗客が乗ってきて運転席の近くに立とうものなら、運転中にもかかわらずずっと喋り続けている。病院までの道のりに片道一車線の部分があるのだが、バス同志がすれちがう時に交差点でもない所で運転手同志が双方のバスを停車させて話し 始めたことがあった。最初は何かの情報交換のようであったが、その後は明らかに雑 談である。その間数分、双方のバスの後ろには当然車の列が延々とできる。しかし不思議なことにクラックションを鳴らす車はなかった。フランス人は他人のおしゃべり にも寛容らしい。
 電車内での携帯電話の使用が最近日本でも問題になっている。フランスでの使用状況はどうであろうか?TGVのファーストクラスでロンドンまで行ったことがあるが、パリから出発してユーロトンネルに入るまで、つまりフランス国内を走っている間は、 ビジネススーツに見を包んだ男女の8割は携帯電話で話し詰めであった。ちょっと異 様な風景であった。しかしその時も特に眉をひそめている乗客はいなかった。もっとも携帯で喋らなくてもフランス人なら隣の乗客と喋り詰めであろうから大して違いは ないのかも知れない。
 男女の会話はどうであろうか。恋愛の項で男女での食事の話題は男がリードしないといけないと書いた。フランスではレストランでの夕食は普通8時か9時頃から始める がワインを傾けながら食事を取りデザートを食べコーヒーを飲み終わる頃には深夜になってしまう。どうしてこんなに時間がかかるかというと、この間ずっと喋り続ける からである。翌日が休日だったりすると食事の後、深夜でもやっているキャッフェ( これはパリでは探すのに困らない。)に寄りまた数時間おしゃべりすることもある。この間4ー5時間のぶっ続けのおしゃべりである。これは義務感ではできない。やはり男女の間でもフランス人は喋り合っているのが楽しいのである。筆者も日本人としてはお喋り好きな部類に入ると思うが、4ー5時間アドリブで喋り続けて気楽に楽しめる異性の友人は数えるほどしかいなかった。営業あるいは浮世の義理で女性と食事 をしないといけないときに筆者のとった方法でうまくいったものが一つある。その夜会う人とふさわしそうな話題を十件ほど箇条書きにしたメモ用紙をポケットに忍ばせて食事に臨む。臨機応変性を増すために、自分の周囲で起こった面白そうな話題をい くつか混ぜておく。話題が途絶えたときに手洗いに立ってそのメモを見ながら次の一 時間の作戦をたてるのである。それくらいの努力がないとフランス人あるいはフラン ス文化に毒された日本人の女性を満足させることはできない。逆に言うとそれを楽しみながらしているフランス人(特に男性)は文句なしに天性のおしゃべり好きなのだ ろう。
 以上「フランスの謎」についての筆者なりの検討を試みた。フランス以外の西洋諸国 の人々からも変わり者あるいは頑固者と見られているフランス人であるから、一般の 日本人からはなおさら理解するのは困難である。その理由の一端はここに一部を示したような、意外に単純な事象の積み重ねであるように思うのだが如何がであろうか。

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木戸友幸
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