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医学教育  

ボタン 何故「シマウマ探し」に陥るのか ボタン

JIM 3 (2) 1993年に掲載
医療法人木戸医院 木戸友幸

まとめ
−現在、日本の医療において「シマウマ探し」が常態化しつつある。
−この原因として、卒前、卒後を含む医学教育、医師の知的な興味、それに現行の健康保険制度の構造の3点が挙げられる。
−この解決には、以上の3分野での大胆な改革が必要である。

「シマウマ探し」が行われる理由
 頻度の少ない珍しい疾患を想定して、いわゆるmillion-dollar work-upをすることを、 「シマウマ探し」(looking for zebra)というが、これは、尿検査、末梢血液検査 などの基本的な検査法しかなかった一昔前の医学では、むしろ異端であったし、現在 でも外来のみの診療所においては、その様々な必然性から行われることは少ない。 「シマウマ探し」は大学病院ではごく普通に行われているし、現在、ミニ大学病院化 した全国の大(中)病院でも少なからず行われている。これは、患者にとっては非常 に不幸なことだし、医療経済的にも明らかに問題がある。長い目に見れば、「シマウ マ探し」的な医療を続けることによって医師は自分で自分の首を締めるようになるこ とは間違いない。
さて、本稿では「シマウマ探し」が何故行われるのかの理由をいくつか挙げ、それら それぞれに検討を加え、最後にその対策を考えてみた。

医学教育の問題

 まずわれわれの学生時代を振り返ってみよう。内科各論の講義では、各々の講師の得意な疾患について詳細に、それこそ分子生物学的レベルにわたって聴かされる。CPC (臨床ー病理討議)でも選ばれる症例は、恐らくわれわれが医師としての生涯で数回 以上は出くわさないような珍しいものばかりである。教科書でさえ、百科事典的に疾 患を羅列して解説したものがほとんどである。このような教育環境で育った医学生は、患者(あるいは単に病院を訪ねてきた人)が何らかの疾患(disease)を持っているはずで、それを見つけ出すのが医師の使命であると考えて当然である。しかし、何年 かの臨床経験を、様々な臨床現場で積めば、教科書的なすっきりした診断を付けられ る患者はむしろごく少数の者であり、いかに病(illness)が多いかということが分かるはずである。この臨床の実際を模擬体験させるのが臨床実習であるが、わが国の医学教育では未だに講義中心で、臨床実習の時間の比率が米国などと比較すると極端 に少ない。時間的な問題のみでなく、学生に対する教育スタッフも極めて少人数で、片手間でやっているようなものなので、その質に関しても低いと言わざるを得ない。
さて、このように学生時代に「シマウマ探し」をむしろ普通の診断過程と思ったままで卒業し、卒後臨床研修に入るのだが、この臨床研修の8割がいまだに大学病院で行 われている。まず図1を見ていただきたい。

図1

これは米国のデータなので、日本ではこ れほど極端ではないかも知れないが、大学病院に紹介されてくる患者は、対象成人1, 000人のうち1ヶ月間で1人というかなりバイアスのかかった患者で、この時点で大学病院の紹介患者は十分「シマウマ」的なのである。したがって、大学病院で「シマウマ探し」をするのはあながち的外れのことではないのかも知れない。しかし、こういう特殊な医療環境で全国お8割の研修医が研修を行い、「シマウマ探し」を正当な診 断法だと教育され、日常行っていることはかなり異常なことではないだろうか。彼らは大学病院での研修期間が終了すれば関連の病院に赴任していくが、赴任先の病院でも同様な診療形態をとり続けるだろう。前述した全国の病院のミニ大学病院化である。 プライマリ・ケアも多く取り扱う病院での「シマウマ探し」への患者からの不満は、昨今よく聞くところである。典型的には、「2週間入院して、毎日、採血、X線、CT、超音波と検査ばかりされたけれど、結局どこが悪いとは聞かされなかった。一体どう なっているんでしょうか。」といったところである。このように、大学を中心に進め られている日本の卒前卒後教育は、構造的に「シマウマ探し」を助長していると言え る。

医師の興味の問題
  医師も人間であるから、当然、医療という仕事のうえで、興味の高いものと低いものがあるはずである。知的好奇心の高い者の常として、多くの医師も、頻度がまれで病態も複雑な疾患に興味を示すように思われる。この知的好奇心によって、これまで様々な新しい疾患が発見されてきたのであるから、この知的な興味自体はあながち悪いこ とではないのであろう。この医師の職業的な興味という動機づけで「シマウマ探し」 が行われることも多い。ここで指摘しておきたいのは、従来、新疾患の発見には、綿密な観察と記述という診断の基本の積み重ねがあったはずである。しかし「シマウマ探し」によって生まれるものは、運がよくて、既知の珍しい疾患の発見である。それ も患者の苦痛と医療経済的な効率を犠牲にして。

医療、健康保険制度の問題

 日本の医療は一言でいえば薄利多売の医療である。保険診療で可能な検査の各々に保険点数(料金)が設定されており、これらの料金は訪米と比較すると確かにかなり低額に抑えられている。しかし、オーダーされた検査が認められるか否かは、適当な保険病名(医学的な診断名でない、検査のために合わせた病名)がついているかどうかのみによっている。保険病名については医師の良心に任されている部分が大きい。したがって、昨今の病院経営の苦しい時代においては、ある程度故意に「シマウマ探し」をして保険点数を上げているのが現実である。

診断の思考過程
 これまでは「シマウマ探し」の理由を挙げたが、次にその予防を考えるにあたって、医師の診断の思考過程について少し述べたい。診断過程は4つある。
1)パターン認識:典型的な所見による一発診断。
2)アルゴリズム:所見、症状の有無でアルゴリズムを辿って診断まで行き着く。
3)徹底的検討法:病歴、診察所見、検査所見などの入手可能なすべてのデータを揃 えて診断を検討する。研修医の診断過程。
4)仮説演繹法:新しいデータが入るごとにいつくかの鑑別診断を思い浮かべ、それらの各々を肯定したり否定したりするための検査をして、次第に診断を絞っていく。以上である。医師としての経験を積むにしたがって、パターン認識あるいは仮説演繹法といったより効率的な診断過程を踏むようになると言われている。

「シマウマ探し」の予防策
  パターン認識は別にして、仮説演繹法を効率的に駆使できるようになれば「シマウマ探し」はなくなるはずである。このための具体策を問題点ごとに考えてみたい。
まず医学教育について。仮説演繹法は臨床経験を積むにつれて上達していくわけだから、卒前教育では臨床実習の質と量を飛躍的に増やす必要がある。従来通りの各論講義では、診断過程を学ぶのに適さない。思考過程を学ぶためには、少人数での問題解決型の講義を増やしていく必要がある。これは、ハーバード大学においてNew Pathwayと呼ばれる大胆な教育改革で効果が実証されている。また従来法の講義の中 に、診断の方法論を学ぶ学問である臨床疫学をぜひ取り入れるべきである。
卒前教育では研修の場を大学病院から、その他の第一線の臨床病院へ移行していく必要がある。これも米国の例だが、数年にわたるレジデント研修の場は、医療環境の異なる複数の病院で行われるのが普通である。こうすることにより大学病院でのルーチ ンである徹底検討法(必ずしも「シマウマ探し」とはかぎらないが)が普通の方法で はないことを学べるはずである。
次に医師の興味に関しては、従来の教育を受けた医師は確かに個々の疾患そのものの 珍しさにしか知的好奇心を刺激されなかったであろう。しかし、臨床疫学が普及してくると、診断の過程そのものが知的なチャレンジになるので、将来、状況は変わってくる可能性はある。 最後に、健康保険制度の問題は、医師の側から地道にこの矛盾を政府と国民に訴え続 け、効率的な診断の思考過程部分についての診療報酬の比率を高めていく必要がある と思われる。

文献
1)Sackett DL, et al. Clinical Epidemiology, Little Brown, 1988
2)Griner PF, et al. 福井次矢監訳、臨床診断ストラテジー、メデイカルサイエン スインターナショナル、1988
3)福井次矢(編). 臨床入門、医学書院、1991


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木戸友幸
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