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医学教育  


WONCA速報

プライマリ・ケア 2005年9月号

1)はじめに
 2005年5月27日から31日にかけての5日間、WONCAアジア太平洋学術会議が京都国際会館において開催された。当会議は家庭医のための国際会議としては最大のもので、日本で開催されるのは初めてである。
 日本プライマリ・ケア学会は、このWONCAアジア太平洋学術会議開催を、日本のプライマリ・ケア発展の大きな弾みの一つにすべく、数年前から準備に取り組んできた。
現在の執筆時は、WONCA終了の1週間後なのであるが、予想を超える成功を収めたこの会議の印象を速報の形でお伝えしたい。
 筆者は、主催者側の一員としてのさまざまな雑務と、二つのシンポジウムのシンポジストとしての仕事があったことと、初日から3日間しか出席出来なかったので、会議の多くを見て回るということは不可能であった。したがって、当速報は筆者が関わった場面での印象を綴ったものであることをお断りしておきたい。

2)会場周辺や天候などについて
 京都国際会館は、京都市北部の閑静な木々の緑の中に位置する。JR京都駅から地下鉄で乗り換え無しで20分程度と交通の便も非常によい。このように会議のロケーションは最高であったが、会議の雰囲気を左右するもう一つの大きな要素は天候である。こればかりはどうあがいても神頼みである。主催者側の願いが通じ、全日程これ以上は望めないほどの五月晴れが続いた。開会の前週に発表された週間予報では、会期中の天候はあまり芳しくないと言われていたので、我々の神頼みが通じたと言っても過言ではないだろう。
 京都国際会議場は、複数の建物が渡り廊下でつながれており、しかも各建物もユニークな構造をしているので、目的の部屋を見つけるのがやや難しかったかも知れない。しかし、参加者との会話からは、不便さよりも会場周辺の環境のよさと、天候に恵まれたことへの賛美の声の方が多かったように思われる。

3)基調講演、招待シンポジウム
 基調講演は、黒川清先生とジョナサン・ロドニック先生のものに出席することが出来た。黒川先生の講演は、この100年間の人類の科学技術の進歩により平均寿命が倍増し、人口も爆発的に増加したのだが、その反面、環境破壊などの問題も噴出してきている。したがって、我々は次世代のために、大所高所から調和のとれた進歩を考えなければならないというお話しだったと思う。直接、家庭医に関わる問題ではないが、地球人の一人として、非常に大きな重いテーマであると感じた。英語での原稿なしのフリートークであったが、日本語でもあれほど早口でしゃべれないような講演であった。
 ロドニック先生の講演は、家庭医療学教育のグローバル・スタンダードを各国の状況を挙げながら、説明された。その中に日本も入っており、2004年からの卒後研修必修化とスーパーローテーションの義務化などについても触れられ、その情報通ぶりに少し驚かされた。
 実は筆者は、WONCAプログラム委員の仕事として、黒川先生のお世話係にあたっていた。午前8時の同時通訳との打ち合わせからお見送りまでずっと行動を共にしたのだが、その翌日、自身が招待シンポジウムのシンポジストに当たっていたので、同時通訳との打ち合わせに同席した経験は非常に役立った。通訳
が欲しい情報は、語彙や言い回しといった細かいことより、講演趣旨の背景的なこととか、意図にまつわることを知りたいのであることが分かった。
 招待シンポジウムは、筆者を含めた6人のシンポジストが各国の家庭医療学の状況を報告するという企画であった。韓国からボン・ユル・ハ先生、香港からタイポン・ラム先生、英国からニール・ジャクソン先生、米国からジョナサン・ロドニック先生、それに日本から筆者が報告した。各シンポジストの発表終了後、フロアーからの質問を受付けたが、ある発展途上国の参加者から、「発表の先生方の中には、ITを利用して診療記録を云々といった発表をされた方がいましたが、世界には電気さえ満足に常時使えないところで家庭医をやっている国もあることを忘れないで欲しい。」といった趣旨のコメントがなされた。筆者にとって、このコメントが一番印象に残った。

4)その他の発表について
 前述したように、自身のさまざまな仕事のために、自らが発表するものの他にはほとんど発表を聴くことは出来なかった。したがって、自らがシンポジストを務めた「日本の地域医療・家庭医療」のシンポジウムと、自らも活動を共にしているPCFMネットのワークショップでの状況を、さるメーリング・リストでのやり取りを基に報告したい。
「日本の地域医療・家庭医療」のシンポジウムは、プライマリ学会常務理事の石橋先生の司会のもと、地域医師会の活動を外山先生、都会の家庭医活動を筆者が、過疎地での家庭医活動を岩井先生が、そして米国での日本人相手の家庭医活動を佐野先生が発表した。もちろん、発表も質疑応答も英語である。超多忙の発表者が打ち合わせを出来たのは、発表直前の半時間のみであった。発表時の英語にはほとんど問題はなかったようだが、質疑応答になるとなかなか言いたいことが英語で言えないという状況が続出した。しかし、日常、英語を使用する必要性のない我々日本人家庭医にとってこれは如何ともしがたいことである。こういう国際学会に積極的に参加したり、日本でも英語での国際的な発表機会を増やすことが必要だとシンポジスト間で同意した。
PCFMネットとは、診療所実習を円滑に行うためホームページを公開して、全国の医学生、医師に受け入れ診療所情報を公開している組織であるが、筆者も5年前からその一員として、医学生、医師を受け入れている。このワークショップは、20人ほどの参加者を得て、英語組と日本語組に分けて行われたそうだ。ディスカッションは通訳(琉球大の武田先生が務めた)の活躍もあり、かなり白熱したようだ。

5)国際交流
 会議前日の27日の夕刻、ウエルカム・リセプションが開かれた。このリセプションには秋篠宮ご夫妻がご臨席され海外からの出席者からの注目を集めた。秋篠宮ご夫妻は、ご挨拶の後も会場に残られ、何と半時間にわたり、参加者と歓談された。歓談の機会を持った参加者から聴いたところによると、宮様ご夫婦は世事にも広く通じておられ、普通の会話をされたということである。秋篠宮ご夫妻は、翌日のオープニング・セレモニーにもご臨席され、お言葉を述べられた。ウエルカム・リセプションに引き続き、邦楽演奏などパフォーマンスを皮切りにインフォーマルなレセプション・パーティーが行われた。大きな人口池や、京都の山々を借景にした、宴会場に続く広い庭もパーティーに開放された。上天気の初夏の夕暮れ時という最高の条件で、いやがおうにも雰囲気は盛り上がり、参加者同士の会話は弾んでいたようである。筆者も各国の参加者とよもやま話を楽しんだ。
 28日の夜は、前述の庭に野外舞台が用意され、カルチャー・ナイトとして、歌舞伎の鏡獅子が演じられた。一日を過ごして、面識が出来た人も増えたのか、初日のパーティーにも増して、会話の輪が広がっているように感じられた。
 残念ながらフェアウエル・パーティーには出席出来なかったが、出席した人から聴いたところによると、なかなかの盛り上がりだったようである。このように、今回の一連のソーシャル・イベントは、関係者の入念な準備と天候にも助けられて大成功だったようである。

 オフィシャルなものではないが、関係者からの依頼を受け、北欧からの参加者を診療所に案内するイベントに協力したので、このことをご紹介する。5月29日の午後、北欧からの約60名の医師夫妻を京都を中心とする6人の日本人医師が各自の診療所に案内した。筆者は医院が大阪にあるので、他のグループより半時間早めの午後2時半に、6人の北欧医師夫婦と共に会議場を出発し、地下鉄、阪急電車を乗り継いで木戸医院に向かった。道中、車窓からの風景の説明も含め、会話が弾み、医院に到着したときには、もうお互い10年の知己のごとくになっていた。医院見学の後、シャンパンで乾杯し、医院中庭で記念撮影をした。その後、皆を引き連れ、嵐山まで戻り、当地の料亭で、この企画の立案者、水野先生率いるグループと合流し夕食会を催した。

6)おわりに
 直近の情報によると、今回の会議参加者は2200名で、これはWONCAアジア太平洋学術議史上最高の記録だそうである。そのうち海外からの参加者も約500名と少なくない数字であった。報告したように、日本の参加者は、海外の家庭医からのさまざまな報告を聴き、彼(彼女)らと情報交換もさまざまな方法で交わしたと思われる。したがって、今回のWONCAは、間違いなく日本のプライマリ・ケア医療促進あるいは家庭医療学の創設に弾みをつけるであろう。特に若手の家庭医志向の医師たちは、初めてこのような国際学会に出席し、刺激を受けたり、あるいはうまく発表できなくて残念な思いを残したりしたであろう。この経験から生まれるものは、将来の日本のプライマリ・ケアあるいは家庭医療学の大きな力になるであろう。
最後に大会組織委員長、津田先生、名誉委員長、小松先生それに組織委員の先生方、どうもご苦労様でした。


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木戸友幸
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