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医学教育  


家庭医木戸の現場報告(2)
(JECCS News Letter 2016年6月号掲載)
私が「家庭医」にこだわる理由

  ジェックス参与 木戸友幸

 この連載のタイトルを「家庭医木戸の現場報告」としたのは、もちろん私が「家庭医」として診療しているからです。しかし、家庭医という称号は我が国ではあまり定着しておらず、どうも分かったような分からないようなものらしいのです。家庭医を簡単に定義すると、体調が悪くなった時や、そうでなくても何かの病気を予感した時などに、その人の年齢、性別を問わず受診できる近所の医師です。日本以外の国、それが先進国であっても発展途上国であっても、大半の国に家庭医を専門医として育てる研修システムがあるのですが、我が国ではまだありません。私自身は、この家庭医をかれこれ40年近くやっています。大阪医科大学を卒業直後の3年間は研修医として循環器を中心とした内科を研修しましたが、その後はずっと家庭医一本です。その辺の事情を今回ご紹介したいと思います。

  大阪医大での研修を終えた直後の1980年から私は厚生省(当時)からの国費留学でニューヨークのブルックリンにある病院での3年間の家庭医療学の研修を受けたのです。家庭医専門医の資格をとり1983年に帰国してからは、国立大阪病院(当時)で研修医の指導、総合内科の立ち上げ、家庭医の全国規模での啓発活動に10年余にわたり精力的に取り組みました。一連の国がらみの仕事に一区切りがついた1995年に、パリ・アメリカン病院で2年半、パリ在住の3万人の在留邦人の家庭医になるという仕事をしました。日本での臨床医は何科であっても勤務医、開業医を問わず忙し過ぎるのです。一度、ゆっくりした完全予約制の一日10数人の患者数で、それなりの収入もあるといった家庭医診療を実験的にやってみたかったのです。そういう医療が患者に満足度を与えるかどうかを確かめたかったのです。もちろん、パリでの日本語での家庭医の診療は、好評裏に終わりました。パリ・アメリカン病院での日本人医師による診療は、その後も好評のうちに継続され、初代の私から20年たった2016年現在、4代目の日本人医師が盛業中です。

  1997年に帰国してからは、木戸医院で家庭医を続けながら同時に関連学会(プライマリ・ケア学会、家庭医療学会、総合診療医学会)を通して家庭医の普及活動も続けてきました。この20年間で我々の活動に賛同してくれる若手医師も増えてきて、それらの若手医師が指導医になり、その部下を育てるという好循環が出来てきました。そして2010年には、これら関連3学会はプライマリ・ケア連合学会として合併し、より影響力を増してきています。そして、2017年からは、いよいよ総合診療医(開業家庭医と病院総合医の専門家)が日本で19番目の専門医として認定される予定です。

  というわけで、医師人生40年を振り返り、ちょっとした達成感を味わっている昨今ですが、やっと社会に認められた今からが正念場だと気を引き締めなければならないとも思っています。

 


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木戸友幸
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