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104)異文化に翻弄されたマイルス・デイビス

 2020年11月に長年悩んでいた慢性副鼻腔炎の鼻腔内視鏡手術を受けました。この時に病室でふと思い出したのが、ジャズトランペッターのマイルス・デイビスのことでした。彼はトランペットの吹き過ぎではなく、コカインの鼻からの吸入のし過ぎで鼻中隔に孔を開けてしまったのです。この逸話を教えてくれたのは1980年代前半のニューヨーク(NYC)時代に友人であったやはり当時すぐ隣のニュージャージー州に留学中の日本人医師H 先生でした。(ブルックリンこぼれ話31参照

 退院した後も手術直後の出血過多で少し体力を失っていたので、仕事を控えめにし、家で大人しくネットフリックス(コロナ禍直前の2020年1月に加入し、ずっとハマっています)を観ていました。ネトフリは映画やドラマだけでなく、ドキュメンタリーも充実しているのを知っていたので、試しに「マイルス・デイビス」で検索をかけると何と「マイルス・デービス:クールの誕生」という作品がありました。この作品では、マイルスの生涯を自身(喋り方を似せた声優が担当)とその友人、知人、親族、評論家などがコメントを入れ、当時の豊富な映像を添えながら淡々と語って行くのです。もちろん私はマイルスに関しては、有名なアメリカの黒人トランペッターで鼻中隔に孔を持っていたことしか知らなかったので、語られていることはほぼすべて非常に興味深いことでした。

 マイルスは10代後半から既にNYCのジャズ界で頭角を現し始めます。実は第二次大戦前からパリではジャズがもてはやされ、戦後もパリを解放してくれたアメリカ人気もありジャズはパリっ子に非常に人気があったのです。1949年にNYCの新進の売れっ子トランペッター(当時20代前半)としてマイルスがパリに招待されたのです。パリ滞在はたったの2週間だったのですが、その2週間でマイルスは何とこれも当時パリのシャンソン界の若手としてかなり名を知られるようになっていたジュリエット・グレコ(2020年9月に死去)と恋に落ちたのです。マイルスは、これまで音楽で手一杯で、本当の恋はしたことがなかったのです。それが異国のパリで、それも音楽に携わる知的な白人美女と。ジュリエットと共にセーヌ河畔を散歩しながら二人はもどかしい英語での会話を交わしました。ジュリエットは当時英語はあまり得意ではなかったですがフランスでの交友は広く、マイルスに哲学者のサルトルを紹介します。もちろんサルトルは英語も堪能なので、その会話からマイルスは世の中には音楽以外にも重要ことがいくつもあることを人生で初めて知ります。しかし、その夢のような2週間から帰国したマイルスは、ジュリエットのことが忘れられず鬱に陥り、酒とヘロインに助けを求めていまいます。それから回復した数年後にジュリエットのアメリカツアーの発表がありました。もちろんNYCでの公演もあったので、マイルスはNYC一流レストランの予約をとりジュリエットを待ちました。しかし彼女はそこには現れなかったです。後に判明したのですが、アメリカ側の関係者がマイルスからの連絡をジュリエットに故意に伝えなかったのです。アメリカでは当時、黒人と白人との恋愛はタブー(まあ今でもそれに近いですが)だったのです。マイルスはこの事実を知り、もし自分がそれでもジュリエットを求め続けると彼女のキャリアに傷が付くと判断し、その後の彼のヨーロッパ公演の時に彼女にわざとつれない態度をとりました。これらの異文化問題から、当時のキラ星若手音楽家2人の仲が割かれてしまったのです。

 しかし、それで終わらないのがマイルスの音楽家としての影響力のすごいところです。1950年代半ばに当時25歳の新進フランス人映画監督ルイ・マルがジャンヌ・モローを主演女優に抜擢して「死刑台のエレベーター」という映画を撮ります。この映画は結果として世界的なヒットを飛ばしました。この時映画音楽の担当をマイルスに依頼したのです。その時にマイルスがとった手法が映画音楽業界をひっくり返させるほどの衝撃を与えたのです。一般的な映画音楽は、オーケストラを使い、映画の場面、場面を詳細に検討し、秒単位で曲を挿入して行きます。ところが、マイルスは映し出される映像を直接観ながら、ほぼ即興でトランペットを吹き、それを録音したのです。実は私はこの映画のタイトルは知っていたのですが、初めて観たのがコロナ禍真最中の2020年春頃だったのです。この時はアマゾンプライムの動画サービスで観ました。マイルスがトランペットの音楽を受け持っていたのは気づいていましたが、まさかこんな奇跡の手法で作成したことは知りようもなかったです。

 さて、このドキュメンタリーはマイルスが1991年に65歳の若さで亡くなるまでの数々の興味深いエピソードを語ってくれるのですが、この異文化ブログでは、上記の二つのエピソードを紹介するのが最適だと思います。
マイルスはその後の短い人生で、多くの恋愛をしましたが、どれも彼の側の原因(酒、薬物、D V)で破局に至っています。ジュリエット・グレコとの恋愛は破局には陥りましたが、本人同士の原因ではありませんでした。その証拠にマイルスもジュリエットも晩年、お互いのことを本当に好きだったし今でも好きだと語っています。この恋愛の悲劇的結末の原因は米仏両国の言語の違いとか人種差別の程度の違いとかの単純な異文化コミュニケーションの問題だけではなさそうです。両国の音楽業界の考え方の相違、もっと言えば資本主義の方法論の相違も関係していると思います。悲恋ではありますが、死ぬ前に「結果は辛かったけれど、あの人が本当に好きだった」と言えるような恋愛もいいかも知れませんよ。

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木戸友幸
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