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107)ドイツ語圏のドライブ旅行

 1980年代後半の話です。その頃、大阪の国立病院で内科勤務をしながら研修医の指導を主にしていました。そのかたわら、外科の先輩医師と組んで抗癌剤の局所投与の媒体に関する研究をしていました。ビュルツブルクとミュンヘンであった国際学会でその成果を発表する機会があり、2週間の休みをもらいました。両学会での発表は学会での共通言語が英語であったこともあり、大成功で、もちろん質疑応答にもしっかり答えることができました。

 この国際学会での体験から学んだことは、ドイツ人はそれなりに知的な若者であれば英語はほぼ完璧であるということでした。この学会出張で計画していたのは、学会のある両都市と学会後の旅行をレンタカーでドライブすることだったのです。ドライブの概要は、あの有名な ロマンチィッシェ・シュトラッセ(ロマンティック街道)を学会で最初に訪れる都市ビュルツブルクから南下し、街道の南端フュッセンであのディズニーの「眠れる森の美女」のお城のモデルと言われているノイシュバンシュタイン城まで至り、その足でミュンヘンまでドライブし二つ目の学会発表を終える。その後、ミュンヘンでまたレンタカーを借り、オーストリアまで足を延ばすという大まかな計画でした。

ノイシュバンシュタイン城

 私のドイツ語は、医学部の教養課程で2年間学んだだけで、1から100まで数えられるのと、挨拶や買い物ができる程度のものでした。学会場の医師や職員が英語堪能であったことから、外国人も多く利用するレンタカー会社では英語は問題ないだろうと期待し、ビュルツブルクでレンタカー会社に電話すると、電話口で対応した職員の女性の英語は申し分のないものでした。ここで借りたメルセデス(日本以外ではベンツのセダンはメルセデスと呼ばれます。)でのロマンティッシェ・シュトラッセのドライブは夢のように快適でした。この街道はアウトバーン(高速道路)ではなく、片側2車線の普通の道なのですが、季節が初夏でハイシーズンではなかったので車の数は多くなく、100キロ程度の速度で悠々走れました。沿道は広々とした草原や森が広がっており、街が見えてくくるとそれらは、中世さながらの石造りの街並みです。車のFM放送をクラッシック専門局に合わせモーツァルトの協奏曲が流れてくれば、もう最高の気分です。

 ミュンヘンでの発表を終え、再度レンタカーを借り換えましたが、今度もやはりメルセデスを借りました。国内より事故リスクの高い海外ではやはり、レンタカーは性能+頑丈さで選ばねばなりません。ドイツで借りるなら、メルセデスが当然第一選択にならざるを得ません。
 さてミュンヘンからは憧れのアウトバーンをドライブしてオーストリアに入り、インスブルックとザルツブルクを訪れる予定でした。ドイツのアウトバーンはさすが聞きしに勝る道路でした。追い越しレーンを140キロくらいで走っていると後ろからパッシングされることが何度もありました。追越車線は最低でも160キロで走らないといけないことが半時間で会得できました。アウトバーンがほぼ直線に伸びており路面の整備も良くて、落下物もなく、メンテナンスの整ったメルセデスでドライブする限り100キロ後半で走り続けてもまったく不安感はありませんでした。ドイツを過ぎてオーストリアに入ってもアウトバーン(と言っていいのかどうか分かりませんが)はそのまま続いていました。インスブルックで途中休憩して、あの映画サウンド・オブ・ミュージックや夏の音楽祭で有名はザルツブルグで一泊して、ミュンヘンまで戻りました。

 当時はまだ30代で、運動神経もそれなりに保たれていたので、問題なかったのですが、現在(2021年)70歳では、海外に出てもさすがにレンタカーを使用しようとは思いません。皆さんもその辺りのことは、充分気をつけてください。

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木戸友幸
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