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112)「ルワンダ総裁日記」を読んでの驚愕と感動

 2021年の春ごろから新聞の本の宣伝で中公新書の「ルワンダ総裁日記」がやたら目立つようになりました。私もそれを見て2021年5月にこの本を購入した一人です。ルワンダと言えば、1960年代半ばにツチ族とフツ族の民族紛争が世界的なニュースになったことがうっすら記憶に残っていますが、その他にはフランス語が公用語の元ベルギーの植民地だった国といったことぐらいです。

 「ルワンダ総裁日記」は独立直後のアフリカ中央に位置するルワンダ共和国に、1965年にルワンダ中央銀行総裁として日本銀行から出向赴任した服部正也氏の奮戦記なのです。服部氏は6年間総裁を務め1971年に帰国し翌年の72年に中公新書として当書を上梓しています。服部氏は99年に亡くなられましたが、当書はその後もコツコツと版を重ね、2021年に著者没後22年目にベストセラーに輝いたのです。

 正直、ビックリの連続で、読後は服部氏のガッツに感服してしまいました。65年と言うとまだ第二次大戦後20年、日本も高度成長期の兆しが見え始めたばかりの頃です。赴任先はアフリカの小国とはいえ、独立国の中央銀行総裁です。赴任の決心は清水の舞台を飛び降りる思いでされたはずです。皆さん、ここでちょっと考えてください。日本語を使えない海外での留学や研修でさえ、かなり緊張してしまうはずです。私も28歳でのアメリカでの研修医開始時は胃が痛くなるようの緊張を経験しました。それを、いきなり独立国の中央銀行総裁ですよ。ルワンダは元ベルギーの植民地であったこともあり、公用語はフランス語なのです。ですから職場や海外出張時の情報交換は全てフランス語です。服部氏は東京帝国大学法学卒業後、海軍予備役から海軍中尉として太平洋戦争中、暗号解読に従事した後、日銀に奉職された方です。恐らく、旧制高校時代と戦前の東京帝大時代にフランス語をかなり熱心に学ばれたのだと思います。しかし、日銀に入られてからは戦中、戦後の10年近くはほとんど仕事も勉強もままならない時代を過ごされたはずです。あの敗戦で打ちひしがれた当時の日本国民の中でも、これだけの矜持を持ったエリートがいたのだということを本書は教えてくれました。

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木戸友幸
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