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163)起業の天才!

 2024年の年末に「企業の天才!」新潮文庫、大西康之著を読みました。その天才の名は、江副浩正です。江副というと、我々の世代では1980年台後半のリクルートの新規上場株を大物政治家に提供した所謂リクルート事件で世間を騒がした人物というネガティブなイメージしか浮かばないのですが、このノンフィクションは、そのイメージを綺麗さっぱり取り払ってくれました。

 江副は東大在学中から、東大新聞の広告取りのアルバイトで業績を上げ、1960年に卒業後、どこの企業にも就職せず、学生時代のバイトの延長である「大学新聞広告社」を企業するのです。そこから彼の快進撃が始まります。これまでの求人広告は、発行部数の大きな出版物に企業の限られた情報を載せるだけというものでした。江副はアンケート調査により、学生が企業のどのような情報を欲しがっているかを確かめた上で、広告を出す企業にこの情報を元に企業情報を充実させるという双方向の方法を編み出したのです。もちろん、こういう求人誌は日本で最初、ひょっとしたら世界でも初めてだったかも知れません。著者の大西氏は、この新作戦を「紙のグーグル」と書いています。これだけでもすごいことなのですが、1980年代に入ると、複数のスーパーコンピューターを購入し、ニューヨーク、ロンドンにもデータセンターを設置し、24時間体制で情報をやり取りできる体制を作り上げたのです。リクルート自身の求人は、江副社長の方針で、学歴や性別を問うことはなく、面接でやる気のある無しのみを問うというスタイルでした。最後の決め台詞は、「君たちはこれまで、過去の歴史や知識を学んできた。これからは君たちが歴史を作るのだ。」でした。そこは、東大教育学部出身の江副のことです。どうしたら人にやる気を出させるかを熟知していたようです。しかし、スーパーコンピューターを導入し、世界を股にかけた際には、社員のその分野の知識を重視し、やはり東大工学部出身のエリートをリクルートしたようです。

 しかし、この破竹の快進撃は、当時の製造業中心の実業界の大物たちに、違和感や危惧を与えたようです。江副が当時の経団連の大物と面談した時に、その人物から「君のやっていることは、虚業だね。」と面と向かって言われたそうです。時代の先を行き過ぎた江副には、創業時からの部下の社員以外に理解者は、ほとんどいなかったのです。そのことが原因で、新規上場株を大物政治家に提供(実は贈与したのではなく、子会社の金融機関からの貸付金で買ってもらったのです。)が事件化され、過剰なマスメディア操作による世論の力を利用し、有罪の判決を受けたというのが真相のようです。
 これ以後、江副は表舞台には一切現れることはなかったのですが、リクルート社はますます成長をとげ、世界的な求人企業「インディード」も買収し、世界企業になっています。

 最後に今回の異文化コミュニケーション的教訓です。自身は留学経験がない人物が、国内での実体験から現在のGAFAに匹敵する求人に特化した世界的な情報システムを、インターネット時代の前に作り上げたのです。このことは十分称賛に値することですが、江副は頭が回り過ぎて、他の起業家が江副の考えに追随できていないことに気づかなかったのです。いくら同国人同士でも、江副の考え方や方法論は「異文化」だったのです。ですから、江副自身がこのことに気づくか、誰かが彼にアドバイスしていれば、彼に起こった悲劇は防げたかも知れません。「天才は自国でも、自らを守るための異文化コミュニケーションが必要だ」で今回は締めます。

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木戸友幸
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