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165)カーター元大統領の訃報で蘇った米国時代の思い出

 2024年末にカーター元米大統領死去の報道がありました。1980年に私が渡米し、ブルックリンの病院でレジデントと呼ばれる研修医を開始した時の大統領はカーターだったのです。彼はジョージア州知事から大統領になった人物で、知名度は低く、大統領時代の功績も特になかったのです。無かったどころか、イラン革命下で、在イラン米大使館が襲撃され、大使館員が人質になるという前代未聞の事件がありましたが、その時の大統領が彼だったのです。人質になった大使館員救出のための軍事作戦が大失敗に終わり、カーターの人気がガタ落ちになってしまいます。そして1981年レーガンが地滑り的大勝利でカーターに替わり大統領に就任します。この民主党から共和党への大統領交代の報道を忙しい研修医生活の中でも、興味深くフォローしていたことを、今でも覚えています。

 さて、上記の思い出のあるカーター元大統領の政治家として大きなマイナスとなった在イラン米大使館人質事件で、たった一つだけ業績があったのです。人質事件初日に脱出し、カナダ大使公邸に逃げ込んだ6人の米大使館員の救出作戦の成功です。これは、海外からの同胞救出が専門のCIA職員が考案するのですが、2012年に映画化され劇場でも1度観て感激し、その数年後は動画サービスで観、今回懐かしくなって3度目はアマゾンプライムで観ました。アルゴ(ARGO)というタイトルです。脱出(出国)に失敗すれば全員死刑覚悟の作戦です。その作戦は、何とカナダ人のSF映画のロケ隊を偽装し、数々の関門をくぐり抜け、間一髪でスイス・エアー機で出国を果たしたのです。超お勧めの、ほぼノンフィクション映画ですので、ぜひご一見を。

 ついでに80年代前半のアメリカの金融状況も思い出しました。当時、私は厚生省(当時)からの国費留学だったのです。ですから、収入面ではかなり恵まれており、特に1年目は3日に一度の当直のため、ほぼ病院暮らしで金を使う機会もなかったので、銀行口座の額が増える一方でした。ところが、その増え方が何だか想像以上だったのです。それもそのはず、カーターから替わったレーガン大統領の経済政策(いわゆるレーガノミックス)の一環のインフレ対策で金利が何と8〜10%という異常な高さだったのです。

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木戸友幸
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