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22)イギリス人医師B先生の思い出

 CFKでより親しくなったB先生は、福田元首相時代に制定された日英協定により、日本で主に自国人相手に医療ができる医師として来日され、そのまま神戸で生活されていた人です。知り合った2000年当時、70歳半ばくらいでしたが、まだまだ活動的な英国紳士でした。

 最初に彼とお互いの自己紹介をしたときに、びっくりするような偶然が判明したのです。B先生が若かりし頃(1950年代)に研修を受けた病院がパリ・アメリカン病院( AHP )だったのです。AHPはもちろん、私が1995年から2年半診察室を借りて開業していた病院です。私が、「そうすると、我々二人はAHPの同窓生ですね。」と言うと、彼は「いえいえ、私は当時研修医(レジデント)で、木戸先生は内科の正式開業医でした。ですからあなたの方がずっと格上ですよ。」と日本風に謙遜されました。そこから、二人で共通の思い出の地であるパリの話題を語り合いました。B先生は、当時付き合っていたフランス人女性と一度目の結婚をされました。フランス人女性と結婚生活を送るようになってから、彼のフランス語は格段に上達したそうです。

 B先生は、1970年代に日英の協定で日本で医業が可能なイギリス人医師5人のうちの1人に選ばれ、神戸で開業されました。最初のフランス人の奥さんとは離婚されており、日本人女性と再婚され、神戸の山手の瀟洒な一軒家に住んでおられました。そこでの、ホームパーティーにも何度が招待されたことがあります。彼と知り合った当時は、日々の診療はほとんどしておられず、フランス領事館顧問医やエール・フランス顧問医などの名誉職的な仕事のみをやっておられました。大阪市大医学部で医学英語も教えておられ、留学を志す医学生には人気があったようです。語学では、フランス語以外に、ラテン語にも造詣が深かったようです。CFKの知り合いの女性で彼からラテン語を教わっていたという人がいましたから。

 B先生は80歳を過ぎて、体調を崩され、フランス関係の仕事を譲りたいとの相談を持ちかけられました。そこで、フランス領事館顧問医とエール・フランス顧問医を引き継いだのです。(エール・フランスのほうは、他の医師がまず引き継いで、その数年後に私に回ってきました。)
B先生は、2012年に80代半ばで永眠されたと聞いています。

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木戸友幸
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