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31)バイリンガルへの道

 2013年夏のことです。ネットでアメリカ在住の基礎医学研究者が、子弟の言語教育の困難さについて書いているのを目にしました。親が目指したのは、無理のない日英両語のバイリンガル養成でした。アメリカで現地校に通うのですから、1年もたてば、英語は確かに上達し、日常にはほぼ不自由しない程度の英語力ができたそうです。3年もたてば、親が聴く分にはほぼネイティブといった英語を話したそうです。しかし、本人に確かめると、授業でも理解できない語彙や表現がしょっちゅう出てくるし、発表するときの英語は明からに他の生徒に比べると劣っていると言います。日本語能力はそれに輪をかけて劣ってきたそうです。日本語能力を保つために家庭内では日本語を話すことを義務づけ、週に一回は日本語補習学校に通わせたそうです。しかし、子弟の日本語能力は、12〜13歳になっても小学校低学年のままだったそうです。このように、バイリンガル養成は、医師という高学歴の親が綿密な計画を立てて、英語国で子供を育てても、かなり難しいものなのです。

  私自身も1990年代半ばのパリで日本人診療をしていた時代に、バイリンガル教育の失敗例を経験しています。パリ在住の日本人の母子家庭の話です。母親は、フランス語は片言程度でした。幼稚園児の娘を、日仏のバイリンガルにするのが目的で、現地の幼稚園に入園させました。ところが、フランス語は何か月たってもほとんど理解できませんでした。それもそのはずで、家に帰っても、母親にはフランス語をフォローする能力はまったくなかったわけですから。それに輪をかけて、日本語のほうも、赤ちゃん言葉以上の発達が止まってしまったのです。フランス人の言語発達の専門家に相談すると、本人の母国語である日本語の習得に専念すべきだという結論でした。母親はこの期に及んでも、かなり抵抗したのですが、最終的には日本に帰国しました。帰国1年後の様子では、日本語能力の遅れはまだかなりあったようです。このように、言語の発達時期に、無理なバイリンガル教育を試みると、結局どちらの言語も発達を妨げられるのです。

 1980年代初めのニューヨークでの研修医時代の経験です。NYには中国系のアメリカ人も多く、研修医仲間には多くの中国系の人たちがいました。中国系アメリカ人は、母国語を保持するという強い文化的使命感を持っており、ほぼ例外なく、家庭では中国語を使うことが義務になっています。ですから、アメリカ生まれの中国人でも、人生の半分以上は中国語で過ごすわけです。彼(彼女)らに訊くと、医学生の時にもっとも歯がゆかった体験は、症例発表の時の英語が普通のアメリカ人に比べると、洗練されていないことでした。私のような大人になってから本格的に英語を勉強した者からすると、理解不能の領域でしたが、尋ねた中国系アメリカ人のほとんどが同じ回答をしたことから、恐らく事実なのでしょう。

  これらの体験から、私がたどり着いた結論は以下のようなものです。
本人の意志を無視した幼少時からのバイリンガル教育は、母国語能力(あるいは普遍的な言語能力)を損なうリスクをはらんでいます。そもそも、幼児に将来バイリンガルを必要とする仕事につきたいかどうかの意志を確かめることは不可能です。ですからやはり幼児期、学童期の言語教育は母国語中心にして、高校生くらい以降に本人の意志で、より高度な外国語教育を受ければいいのです。必要は発明の母です。外国語がどうしても、自分のやりたいことに必要になれば必ずものになるはずでし。また、やりたいことの手段としての外国語は必ずしも母国語レベルになる必要はないのです。

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木戸友幸
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