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41)カナディアン・アカデミー、続

 カナディアン・アカデミー(CA)は六甲アイランド(六アイ)在住20数年の木戸家にとっても思い出深いところなのです。

 まずは1995年の阪神淡路大震災の時のことです。六アイはまさに震源ど真ん中で、揺れはすさまじいものでした。幸いなことに六アイ内の建物には大きな被害はありませんでした。震災当日に対岸の魚崎の工場から有毒ガスが流れてきているという情報があり、島民全員に避難勧告が出たのです。その避難先に応じてくれたのが、対岸から一番遠い島南端にあるCAだったのです。すべての教室が島民に解放されました。1月17日の厳冬下で風邪が流行っていました。CAの責任者から学校の保健室も使っていいから、臨時の診療所を開かないかとの提案がありました。成り行きでその責任者を買ってでたのですが、一人では何も出来ないと思い、医師を募るとたちどころに5人の申し出がありました。六アイには医師が多く住んでいるのです。次に困ったのが薬剤です。ここは学校の保健室なので、数種類の救急薬くらいしか薬はありませんでした。CAのアメリカ人職員が、機動力のある岩国米軍基地に連絡したら何とかしてくれるかもと、いきなり電話を繋いでしまいました。事情説明は私ということで、受話器を渡され、事情を説明しましたが、「まことに申し訳ないが、その目的のために基地からヘリコプターを飛ばすわけにはいきません。」と丁重に断られました。それでも、大阪日赤が救急に実績のある病院だから連絡してみたらと提案もしてくれました。提案にしたがって大阪日赤に連絡すると、一発OKで、あの震災当日の混乱の中、救急車を飛ばして薬剤を届けてくれたのです。連絡から一時間後救急車が到着すると、島民からは感謝の大拍手が起きました。
 薬が届いて診療を初め、50人ほどの患者を診療することができました。夜になると有毒ガスの発生が止まったということで、結局避難勧告は解除され、皆帰宅することができました。

 早朝に大地震、昼からは毒ガスによる避難、臨時診療所開設と、普段はまず体験することのないことが十数時間の間に起こったのです。しかし、その間、隣人愛(それも国際的な)も体験し、結果も出せて、最終的には無事に終わったということで、悲惨な割には満足感のある一日でした。

 震災当時、3人の息子の下2人は幼稚園児だったのですが、小学校にあがるとまず三男が、次いで次男が剣道を始めるようになりました。その道場が何とCAの体育館だったのです。もちろんCAは剣道の訓練に関与しているわけではなく、夜に体育館を貸してくれていただけなのですが、広々とした体育館で練習できるのは非常に有り難いことでした。週数回の練習日には、時々私も息子2人を迎えに行ったことがあります。

 とういうわけで、CAは六アイという地域社会にいろいろ貢献してくれ溶け込んでいる国際学校なのです。

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木戸友幸
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