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47)最強の国際カップル

 時代は再度、私の国立大阪病院(当時)時代の1980年代後半に戻ります。その当時の外国人診療のことに関しては、この連載にもいくつかのエピソードを書きましたが、今回取り上げた国際カップルも知り合う最初のきっかけは、私の外国人外来へのカップルの奥さんのほうからの電話でした。(別に外国人外来が正式に存在していたわけではなく、交換にかかってきた英語の電話を採った係の人が、私につないでくれたというだけのこのですが・・・。)ちょっとなまりのある英語でしたが、十分理解可能なものでした。小学生の娘さんの風邪症状が長引いているので診てほしいということでした。大阪病院では、私は内科医師でしたので、規則上、小児を外来で診ることはできませんでした。そこで、同僚の小児科医で、アメリカ留学の経験もあり英語で診療できる医師を紹介しました。

 娘さんは、小児科で何度か診察を受け、風邪ではなくて、どうもアレルギー症状だということが分かりました。母親も同僚の小児科医の診療に満足してくれたようでした。小児科医と話す機会があり、母親はイスラエル人であることが分かりました。英語のなまりはイスラエルなまりだったわけです。それでこの件は一件落着しました。それから、1〜2ヶ月たったある日曜の朝のことです。私の住む六甲アイランドのマクドナルドへ朝食を食べに入ると、がっちりしたアジア系の男性が白人っぽい女の子と食事をしていました。その男性と何となく目が会ったので、会釈をすると、向こうの方からGood morning.と英語が返ってきました。それで、こっちも英語で応じました。なかなか話好きの男性で、問わず語りで、最近の彼の周囲の事件を語り始めました。 − 娘の調子が悪く大阪の病院で診てもらったらアレルギーと言われた。今朝も娘とマクドナルドに行こうとすると、妻が「娘はアレルギーなんだから、マクドナルドは良くない。」と止めるんだよ。「月に何回かのマクドナルドくらい、どうってことないよ。」と逃げてきたんだ。−  どうもこの話、ひょっとしてと思い、自分の身分を明かし、娘さんの状態について奥さんから電話で相談を受けたことと、小児科医を紹介したことを説明しました。それで、びっくりするような偶然について少し語り合ったのち、その場は握手をして別れました。

 それから、何度か六甲アイランド内で彼と偶然出くわす機会があり、彼らの家族情報が明らかになってきました。奥さんはやはり、イスラエル生まれのユダヤ人で、彼は韓国生まれの韓国人、韓国、日本、ヨーロッパ諸国で、貿易関係の仕事を自営でしているということでした。娘にも将来、国際的に活躍できる人物になって欲しいので、六甲アイランド内のカナディアン・アカデミーに通わせているそうです。

 その後、娘の主治医の小児科医とこの一家のことについて語り合う機会がありました。我々二人とも海外での経験で、ユダヤ系、韓国系の人たちの海外での「しぶとさ」についてはよく知っているので、この最強カップルに育てられた娘は、それこそ最強の国際人になるだろうなというが、我々の結論でした。

 ところが、意外な展開がありました。1995年、阪神大震災が神戸を襲い、六甲アイランドでも建物への被害は最小であったものの、地震に慣れないイスラエル人、韓国人カップルにとっては、心理的恐怖感は、筆舌に尽くせないものだったようです。地震直後に、一家でイスラエルに移住したと風の噂で聞きました。

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木戸友幸
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