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70)鎖国時代の日本の評判
 2016年の秋に「日本1852 ペリー遠征計画の基礎資料」チャールズ・マックファーレン著 草思社文庫 を読みました。この本は、その日本語訳タイトルが示す通り、ペリーが開国を迫るため軍艦で日本に遠征する時に日本の事情を知るために資料としたものらしいのです。ここには、その当時の日本の地理、政治、経済から始まり、風俗、文化、当時の日本の庶民の暮らしぶりに至るまでが詳しく書かれています。因みに、著者自身はイギリス人の学者で日本を訪れたことは一度も無かったのです。というより、当時、日本は鎖国されており、キリスト教宣教師や許可された貿易関係者くらいしか日本を訪れることができなかったのです。著者は、15世紀から19世紀にかけてポルトガル人、スペイン人、オランダ人によって書かれた書物や新聞記事を資料にして、この本を書き上げたのです。それら文献資料もすべて巻末に記載されているのですが、その時代にすれば膨大な量の日本に関する資料があり、私もびっくりしました。

 この本によると、当時の江戸や大坂(大阪ではなく大坂です。)は筆者の住むロンドンに匹敵する洗練された大都市であったそうです。また日本人は、庶民に至るまで読み書きができ、男性だけでなく女性まで、芝居通いや音楽などの品のよい趣味をもっていると、もうべた褒めといった感じです。

 信長、秀吉の時代にはポルトガル人やスペイン人のカトリック宣教師が優遇されていましたが、その後キリスト教でもカトリックが禁止され、日本人の信徒も厳しく罰せられました。その隙をついて勢力を増していったのがキリスト教でもカトリックではないオランダ人なのです。オランダ人は踏み絵を踏むこともまったく苦にしなかったそうです。しかし、ある文献によると、そういうオランダ人の日和見的な態度を好ましく思わない日本人役人も多かったと書いてあったそうです。

 長崎の出島に出入りできたのはオランダ人だけなのですが、この本の著者はイギリス人なので、この時代のオランダ人に対しては、やや客観性を欠いた嫌悪感を示しています。それもそのはずで、大航海時代の初期の15、16世紀はポルトガルとスペインがライバルでしたが、17世紀からはイギリスとオランダがライバル同士だったのです。ここからは、私見になるのですが、英語でオランダに関する表現で碌なものがないのです。例えば、オランダ人のケチを意味するGo Dutch.(割りかん)やDutch party(会費制のみみっちいパーティー)、好色を意味するDutch wife(現在では、セックスのための女性人形を意味しますが、本来は1700年代のオランダ領東インドへの単身赴任中のオランダ人の現地妻を意味したのだそうです。)、酒癖の悪さを意味するDutch courage(酒の上での空元気)等々。恐らく探せばまだまだあるのでしょうが、イギリス人は結構執念深いようです。

 ということで、この本を読んで学んだことは、開国前の日本の評判は、当時の先進国の間では抜群によく、そのため、あの手この手で各国は日本での利権を狙っていたということです。しかし、日本を狙っていた先進諸国も決して一枚岩ではなく、むしろ、お互いをけなし合いながら競っていたということです。

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木戸友幸
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