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72)メトロに乗って
 2018年4月より大阪市営地下鉄が民営化され、Osaka Metroと改名されました。
私が海外生活を経験したニューヨークとパリは、両方とも地下鉄が昔から生活の足になっている都市であり、大阪より地下鉄の歴史がずっと長い都市です。この二都市の地下鉄にまつわるエピソードにしばしお付き合いください。

  ニューヨークの地下鉄は、日本では汚くて危険というイメージを持たれているようです。確かにそれは当たっていないことはありません。しかし、私が生活した30年前の落書きだらけの汚い車両は、その後、川崎重工業から輸入された落書き防止の工夫をこらしたステンレス製の新車両にどんどん入れ替わっているらしいです。また、危険に関しては、30年前でも今でも、やはり夜の利用はその通りで、かなりのリスクがあります。それは、夜間の乗客が少ないことが最大の理由です。しかし、昼間は、マンハッタンの中でも、マンハッタンとブルックリンをつなぐ線でも特に危険はなく、日本と同じ感覚で市民の足として普通に利用されています。なお、地下鉄はアメリカ英語ではsubwayですが、イギリス英語ではundergroundあるいはtubeと呼ばれます。

 パリの地下鉄は、フランス風にメトロ(metro)と呼びましょう。1995年からの2年半を過ごしたパリのメトロは、ある意味では80年代前半のニューヨークの地下鉄より危険だったかも知れません。パリでは確かに、命の危険はなかったですが、何しろすりが多かったです。すりといっても、集団で取り囲んで、財布やバッグをひったくって素早く逃げるという手口のものです。被害者は、幼児を乳母車に乗せて乗車している母親など、無防備で、反撃される可能性の少ない人が多いようです。犯人はほとんどが、ジプシー集団で、その集団にはたいてい子供も混じっています。フランスでも、これはもちろん犯罪なのですが、フランス人は、ジプシーにとって盗みは職業の一つと半分あきらめているようです。私自身も、一度被害にあいかけたことがあります。電車がホームに入ってきて、ドアが開き、乗り込む寸前に、ホームにいた数人の少年が私を取り囲み、ズボンのすべてのポケットに手を突っ込んできました。両横ポケットは両手でしっかり押さえていたので被害はなしでした。とっさの判断で、電車には乗り込まずにホームに残りました。すり集団は、不首尾と判断し、蜘蛛の子を散らすように走り去っていきました。数分後、一人の少年がもの影から、私に近寄ってきて「ムッシュー、この手帳、ホームに落ちてましたけど。」と私が尻ポケットに入れていたスケジュール帳を渡してくれたのです。私はそれに気づいていなかったのですが、彼がすったのは間違いありません。でも、殊勝にも返してくれたので、ニッコリ笑ってメルシーとだけ言って受け取りました。金目にならないものは、返す。やっぱり「仕事=職業」なんだと妙に感心しました。

 パリの地下鉄では、地下道でも車両内でも、芸をする人々がいて、それを職業としているのです。歌が一番多く、漫談みたいなのもあります。時には、芸もなにもなく、単に自分の生活苦を訴えるだけといったのもあります。あるとき車両内の柱やつり革を上手に利用した装置で人形劇を10分で上演してみせた芸人がいました。もちろん上演後、私を含めた周囲の乗客のほぼすべてが何フランかのお布施を払っていました。
ニューヨークでも地下鉄内に芸人はいましたが、80年代のニューヨークと90年代のパリでは、その芸の質は、どうもパリの方が上だったようです。

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木戸友幸
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