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82)床屋をめぐる冒険

 今回はニューヨークでの3年、パリでの2年半での理髪店(関西では散髪屋と言います。)の思い出を書いてみたいと思います。
 先ず海外で一番先に住んだのは、ニューヨークのブルックリンにある、 シープスヘッド・ベイという小さな漁港のある街でした。ここの理髪店の店主はアルメニアから移住した移民一世の中年男性でした。陽気な話好きのおじさん(これは男性理髪師の万国共通の特徴のようです。)でした。「俺たちのような無学な者には、理髪業が設備投資もあまり掛からないし、異国で仕事するには最適なんだよ。」と陽気に笑い飛ばしていました。英語も何とか分かる程度のブロークンなものでしたが、こちらの英語も自慢できるほどのものでなく、海外で初めての理髪店としては最適の所だったと思います。

 1年間ブルックリンに住んだ後は、マンハッタンの南端にあるグリニッジヴィレッジという地域に転居しました。ヴィレッジはお洒落な街で、理髪店に入るとブルックリンの時のように一人の男性理髪師とは違い、4〜5人の理髪師がおり、女性も複数いました。何度か通い、30代のなかなか美人の白人女性に月一回髪を切ってもらっていました。男性と女性の理髪師の違いは、女性はあまり世間話はしないようです。どちらかというと、客の個人的な生活に興味があるようです。職業とか、未婚か既婚とか、休みは何してるのとか結構具体的は個人情報を尋ねてきました。まあ、こちらもNYの生活にも慣れてきた頃なので、ゲーム感覚で適当に「嘘も方便」を織り交ぜ対応していました。マンハッタンでは土地柄、自分の好みの理髪師には少額のチップを渡していました。もちろん、その美人理髪師とのロマンティック・アドベンチャーは何もなかったです。当時(今でもかな)白人女性と非白人男性のカップルはやはり「タブー」だったのです。

 パリでの生活はNYの研修医時代と違って40代の中年にさしかかった頃のことでした。パリでは、外交官や企業の駐在員が受診する、有名病院の外来で開業していたこともあって、頭髪を含めた身だしなみには結構気を使いました。そこで、選んだ理髪店は凱旋門近くの17区のアパートからほど近くのそこそこ豪華そうに見えるところでした。理髪師は数人いて、美人ぞろいの女性ばかりでした。ということで、特に指定することもなく、来た時勝負でいろんな女性に髪を切ってもらっていました。パリの女性理髪師は、NYと違いかなりクールな対応で、特にこちらの個人情報を訊いてくることはなく、こちらが訊いたことや、切り方の注文に答えるだけという感じでした。 まあ、こちらのフランス語が拙いということもありましたが・・・。
理髪師を指名することもなかったので、チップもなかったです。時々、その店のオーナーっぽい30代くらいに見える長髪のイケメン男性が訪ねてくることがありました。すると、店の女性理髪師の中でも一番の美貌(私の趣味からして)の女性がその彼を理髪チェアーに座らせリクライニング座位にして洗髪するのです。その後ドライヤーをかけながら、短時間言葉を交わしてから、彼はその洗髪してくれた彼女と(ハグとビズを交わし)悠然と店を後にするのです。何だかフランス映画の一場面を観ているような感じですが、まさに髪結いの亭主を地でいくようでした。

 パリとニューヨーク(ブルックリンとマンハッタン)の理髪店事情を御紹介しました。理髪店の様子というのは、その国の庶民の日常生活の一つの具体例を現しているので、異文化の一面を観察するよい機会になると思い、ちょっと長くなりましたが、綴ってみました。

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木戸友幸
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