Dr.Kido History Home
E-mail

国際医療協力

ボタンDr. 木戸流「異文化コミュニケーション」ボタン

88)すべては「プラハの春」から始まった

 あの池上彰さんが、2019年はどうも「プラハの春」にハマっているらしいのです。春頃はテレビで、現地取材と当時のニュース映像を交えながら1時間ものの番組を放送していたし、梅雨時には日経朝刊に記事を書いていました。
実はこの「プラハの春」に関しては、私もそれ以前からかなりの関心を持ってはいました。また、この事件が、世界の体制を大変革させるきっかけになったのだと、最近理解できるようになってきています。

 プラハの春といえば、体操選手のチャスラフスカ抜きには語れません。彼女は1964年の東京オリンピックにもチェコ代表で出場しているのですが、世界の注目を浴びたのは、68年のメキシコ大会の時です。その時、金メダルを争ったのが宿敵ソ連のクチンスカヤでした。68年当時高校2年生だった私はというと、チャスラフスカが、ブラハの春の闘士であり、祖国チェコの自由化の為にアスリートとしてソ連と闘い、金メダルを勝ち取り世界の注目を集めることにより、世界の目をチェコの自由化に向けようとしているといったことは、まったく理解していませんでした。高校のクラスの連中も、一部の政治的に目覚めた生徒(といっても、当時はやはり親ソと言わずとも、左翼思想が優勢だったのですが)を除き、これを単なる女子スポーツの一つとみなしていました。倫理社会というあまり肩の凝らない授業の最中に、チャスラフスカとクチンスカヤの人気投票を、メモ用紙を回してやったくらいです。結果は、若くてピチピチしたソ連のクチンスカヤが圧倒的に票を集めました。今から思うと、あのチャスラフスカの成熟した大人の色気と、闘う自由の闘士という二つの相反する要素を併せ持った魅力を、17歳の青二才にこれを分かれと言っても無理だったでしょう。

 私のチェコ音痴を変えたのが、そのものズバリのタイトルである「プラハの春」という小説でした。30代前半の頃に読んだのですが、チェコでこの時代に生活した経験がある元外交官の春江一也氏の作品です。作者の分身を思わせる日本人外交官、堀江と反体制活動家のチェコ人女性カテリーナの愛の物語なのですが、時代背景や、起こる事件の信ぴょう性は、作者が現地で勤務経験のある元外交官ということで、まず間違いないものです。そこで起こる恋愛劇も、これでもかというくらいの逆境下での恋愛で、なかなか読ませるのです。その証拠に「プラハの春」はかなりのベストセラーになりましたし、続編の「ベルリンの秋」まで出版され、こちらも好評だったのです。これらの作品のお陰でソ連に蹂躙された旧東ヨーロッパ諸国の状況を理解することができ、ソ連を始めとする共産主義国家の矛盾にも遅まきながら気づき始めました。共産主義の矛盾が、日本でこの小説を含めた様々なメディアで明らかにされていく中で、1991年にそれまで誰もが想像できなかった事件が起こります。11月のベルリンの壁崩壊、そして12月のソビエト連邦の崩壊です。

 冷戦時代に米国と覇権を争った最強の共産主義国の崩壊という20世紀最後の歴史的事件を踏まえ、1992年に日系米国人政治学者フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を著します。超簡単にまとめると、世界の歴史は民主主義と自由経済の勝利に終わるというものです。しかし、その後の世界の政治・経済の動きからみて「歴史の終わり」の結論は、かなりフライング気味であったようです。 益々グローバル化している世界でありながら、個々の国が自国中心のポピュリズム政策をとるという矛盾した状況下で、2019年現在、我々は生きています。せめて、孫の代くらいまでは、日本国が破綻しないように我が政府にしっかり外交の舵をとって欲しいなと願っています。

| BACK |

Top


木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp