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  日本内科学会(認定内科専門医会編)2003年9月発行
(医)木戸医院 木戸友幸

外国人の定義:
 インフォームドコンセント(以下IC)は英語であることはもちろんなので、外国人診療におけるICというと英語国民に対する診療と考えがちである。しかし、診療の際に説明と同意を求めたいという欲求は、どの国の患者であっても持っているものである。 特に、日本という異国でコミュニケーションにも不便がある場合は余計にICを欲求して当然である。
したがって、本稿で言う外国人の定義はアングロサクソンとか先進国民とか特定はせず、日本以外で生まれ育ち、日本文化や日本語に不慣れな人たちとする。しかし、ICの概念はアングロサクソン諸国で成立したものであるから、そのおおまかな手法はアングロサクソン方式とし、それを対象外国人の文化や作法により微調整をするのが実 際的であるので、そのようにする。

外国人患者を前にして:
 均一国家で外国人が少ない日本では、外国人患者に対して自然体を保つことが難しい医師が多いようである。ICが成り立つためには、自然な診療の雰囲気が必要なことは当然である。したがって、外国人患者が受診した時に自然体を保つために実際的に役立つコツを述べたい。
米国でもヨーロッパ諸国でも、外国人患者が受診しても、その応対に使用する言語はその国の国語である。日本を訪れる外国人もその辺の事情は理解しているはずである。
そこで、外国人患者が来院したときの最初の対応は明快でゆっくりした日本語ですることを提案する。こうすれば、こちらの気持ちがまず落ち着き、より自然な診療に入っていける。相手が日本語を解する場合はそのまま日本語で診療を進めればいいし、日本語が駄目なら、双方が理解できる言語を選ぶか、あるいは通訳に頼ればよい。 自然な診療の雰囲気との関連で言うと、ICを何か特別の概念というふうに考え構えてしまうと、やはり自然体が失われてしまう。ここで一番重要なのは、「患者の自己決定権」である。欧米では、自己の権利主張が普通に認められており、その延長上に医療での「患者の自己決定権」もある。この自己決定を可能にするための説明をICと考えれば、分かり易いのではないだろうか。

診療マナーについて:
 ICが成り立つ条件として、自然な診療の雰囲気を挙げたが、それとともに重要な条件が信頼感を得ることである。この信頼感を得るためには最低限の診療マナーには通じておいたほうがいいだろう。
患者が診察室に入ってきたときは、まず医師の方から挨拶し、自己紹介する。この時、仏頂面ではなく、笑顔を浮かべて挨拶することをお勧めする。確かに、初対面で笑顔 を見せない文化圏もあるにはあるが、笑顔を見せられ気分を壊す人はほとんどいないことも経験上の事実である。
診療に移ってからも、日本語でも外国語でも、できるだけ丁寧な表現で会話を進めるのがマナーである。英語の場合はもっとも簡単には、英語国の幼児が母親に教わる "Don't forget P & Q. " 即ち、「Please & Thank youを忘れずに。」でいけばいい。
診察をするときは、一つ一つの行為を言葉で説明しながら、進めていくのが普通であ る。例えば、診察する前に、「上半身を診察しますので、上半身のみ服を脱いでください。」、診察が始まると、「今、心臓の音と雑音について診察しています。大丈夫のようですよ。」といった具合である。厳密に言うと、これら一つ一つの説明もICである。例えば、敬けんなイスラム教徒の女性なら、男性医師に肌を見せる診察を拒否することもありうる。この場合、無理やり診察したり、投げやりな態度で、診察を放棄するのはマナー違反である。「本来なら診察が必要なのですが、あなたの意思を尊重して、別の方法で診断することにしましょう。」といった形で診療を進めるのがよ い。

医療の拒否について:
 マナーの最後の部分で触れた宗教上の理由でのある種の診療拒否や治療拒否は、ときどき経験することである。筆者の経験からも、宗教的信念で医療の必要不可欠な部分を拒否されることが、医師として一番辛い。しかし、個人の宗教的な信念は、法律的には医学上の理由に勝ることは、世界各地の判例からも明らかである。この場合も、口頭で医学的にはその診療や治療が必要なことを説明して、その説明を納得の上での拒否であることを分かってもらう努力をする。その上で、医師の説得を拒否したことを証明する書類(Discharge Against Medical Advice)に署名してもらうのが一番確実である。この書類への署名は、欧米では普通の手続きであるので、説明さえ丁寧に行えば決して失礼にはあたらない。

医療訴訟について:
 筆者がパリの病院に勤務していたとき、同僚のフランス人医師が、アメリカ人を診察する時は弁護士同伴でなければ診察したくないと言っていた。これは半分冗談であるにしても、日本人医師が特に欧米人を診療するときに、医療訴訟に巻き込まれないかという不安が頭をよぎることがあっても不思議はないと思われる。結論的には、明らかな医療ミスで、重大な結果を引き起こさないかぎり訴訟におびえる必要はまったくない。(明らかなミスで悪い結果が出れば、外国人であろうとなかろうと訴訟につながる!)
筆者自身、過去20年間にわたり、外国人診療に従事しているが、これまで訴訟になりかけたことは一度もない。複数の欧米人患者に医療訴訟についての意見を聴いてみた ことがある。それによると、海外での医療には、完全なものは期待していない、よほどのミスがないかぎり、訴訟など考えないとのことであった。飛行機の中での救急医療は「グッド・サマリタン法」(善意から出た行為は罰せられない。)が適応される。 この延長線上にあるのが、海外での医療ではなかろうか。 したがって、医療訴訟の多い国の患者(英語国民が多いが)が受診したときも、診療マナーをわきまえ、ICをきっちりとりながらの診療をすれば何の問題もない。

症例提示:
症例1,25歳イスラエル人男性
上気道炎症状を訴え、総合病院内科を受診した。彼は同世代の仲間と繁華街でアクセサリーの露天商を営んでいる。身なりはヒッピー風で、長髪に髭をたくわえている。彼が言うには、日本でこれまでいくつかの医療機関にかかったが、診療マナーは悪く、説明はほとんど無いとのことであった。イスラエルの医療は、国際的にみても質が高 く、国民も医療を見る目が肥えている。また、特に海外で仕事(例え露天商であっても)をしているイスラエル人は、本当の意味での「国際人」である。外見に惑わされて、決して軽く扱ってはいけない。
この患者は、筆者の診療が気に入り、その後一族郎党を引き連れ受診を繰り返し、帰国時には、商品のアクセサリーの一つを筆者の妻にプレゼントしてくれた。

症例2,27歳フィリピン人女性
関西の国立大学の大学院生。1年間腰痛に悩まされているという。診察の結果は、いわゆる「腰痛症」で、その旨を説明し、予防のための姿勢や体操の指導をしたところ、数ヶ月で改善をみた。
彼女は、通っている大学の付属病院へ以前通院していたが、医師からの説明はほとんどなく、投薬のみのことが多く、それが非常に不満だったとのことであった。フィリピンでも、高収入、高学歴の人たちが利用する医療機関は、欧米スタイルのきちんとしたICに基づいた医療を行っている。進んでいると思った日本の大学病院の医療が期待に沿うものではなかったという事実が、腰痛を長引かせたようである。

症例3,28歳アメリカ人女性
日本の企業に勤務する女性。企業の定期検診で胸部レントゲン写真を撮ると言われたが、病気でないのにX線を浴びるのは嫌なので、撮る必要がないとの診断書が欲しいと来院。 その企業の産業医と相談すると、産業医はその女性の意向に納得してくれたが、企業の事務方が規則は曲げられないと頑強に抵抗した。最終的には、事務方に半ば脅しを かけて納得させた。(人権蹂躙で訴えられてもいいんですか?) 個人の権利意識の強い欧米人にとって、企業や学校での、集団検診というスタイルはかなり抵抗があるようである。X線照射がそこに絡んでくると尚更のことである。

おわりに:
 以上述べたように、ICに関しては、日本人であろうと外国人であろうと、特に本質的 な差はない。ただ、言語や習慣などの違いから、外国人に対しての方が誤解を生じる可能性が高まることは確かである。したがって、日本人相手の時より、より慎重に診 療をすることは必要かも知れない。しかし、慎重になりすぎて、不自然でぎこちない診療になってしまうとICそのものにも支障を来す。その辺りは、回数を重ねることに より微妙なバランス感覚を自ら会得するしか方法はない。
各国人の気質、習慣、エチケットなどにある程度通じておくため、日頃から雑学を仕入れておくと、なかなか役に立つ。筆者の体験からすると、翻訳もののスパイ小説の 濫読が、この目的にもっとも沿うように思われる。

参考文献
1)木戸友幸:外国人に対するインフォームドコンセント. 治療, 83 (2):54-56, 2001
2)木戸友幸:心身症シュミレイションモデル. 日本プライマリ・ケア学会誌, 14 (4):534-535, 1991

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木戸友幸
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