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忙中閑あり

 リヤドでの1ヶ月の間、毎日会議、視察、出張などをしていたわけではありません。週のうち半日くらいは、リヤド市内とその周辺の視察を兼ねて、医療団用のサバーバン(フォードの大型バン)に乗ってドライブしました。運転はリヤドの地理にも慣れているフィリピン人のお雇い運転手がしていました。

  ある日の午後、郊外にある「赤い砂漠」を訪ねようということになりました。リヤド市内も砂漠といえばそうなのですが、別にきれいな砂があるわけではなく、正確に言うと土漠なのです。土漠は日本の都市にある広大な建設用地みたいな感じでまったく美的ではありません。そこで、観光客は都会人のイメージする「砂漠」を求め、比較的近場の「赤い砂漠」を訪ねるのです。この「赤い砂漠」は文字どおりきれいな赤い砂で出来ており、広大な面積で地平線までまさに赤い砂がうねりながら続いています。

  リヤド市内から比較的近いと言いましたが、車では小一時間はかかります。市内の標識はアラビア語と英語が並記されているので、問題はなかったのですが、郊外に出るとアラビア語だけの表記になりました。これは想定外のことで、全員かなりパニックに陥ってしまいました。しかし、フィリピン人運転手は冷静で、用意した地図を丁寧に読んで、無事「赤い砂漠」に到着することが出来ました。この時思ったのですが、外国人が日本を訪れ、標識や案内が日本語だけだった時(田舎ではほとんどそうです)はちょうど同じパニックに陥るだろうなということでした。

 リヤド市内では、2度ほど絨毯市場に行きました。ここでの目玉はシルクの高級絨毯です。トルコのヘレケやイランのクムのものが最高級品とされていて、値段もかなりのものでした。外交官で絨毯のことに詳しい人におよその値段を訊いておいて、市場に乗り込みました。こういうところでは、いかに値切るかを楽しむのです。相場は学習して知っていたので、かなり強気に値切りました。一度などは、「もういい他で買う。」と怒ってみせて、店を去ると店主が追いかけてきて交渉が成立しました。日本人は信用があり、現物を先渡ししてくれ、支払いは店主が後日ホテルまで取りにきてくれました。結局、別々の店でヘレケの小さなものを計2枚買いました。

 大使館のテニスコートでは、休日に一度テニス大会を開きました。これは、K医務官が近々ウィーンに転勤になるので、その送別テニス大会でした。抽選でダブルスを組み、総当たり戦をしました。私はくじでK医務官夫人と組むことになりました。下馬評では、九州のテニスの名門、柳川高校でテニス部をやっていたという医療隊調整員のSさんの組がダントツの優勝候補でした。うちの組は初戦で油断して敗退したのですが、敗者復活戦から勝ち上がり、最終的には優勝候補のSさんの組と決勝戦を戦いました。まともな勝負をしたら負けは見えていたので、徹底的に女性を攻めるというちょっと汚い手を使いましたが、結局我々の組が勝ち優勝しました。見方を換えれば、主役のK医務官夫人の組が優勝したのですから、行事としては大成功でした。
 打ち上げパーティーがプールのそばの野外テラスで行われました。気持ちよくビールを飲んでいると、数人の調整員諸君に手招きされたので行ってみました。するといきなり手足を掴まれ、プールに放り込まれてしまいました。これは手荒な祝福だったようです。気のいい恩田大使夫妻が、びしょ濡れの私を気の毒がって、公邸の部屋まで連れていってくれ、濡れた衣服の代わりに、大使のトレーニングウエアーを貸してくれました。これもいい思い出です。

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木戸友幸
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