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国際医療協力

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エピローグ

 湾岸危機においての日本の人的貢献はこれまでにご紹介してきたように、結局は実を結ぶことはありませんでした。この湾岸危機時においての経験はまったく無駄なものだったのでしょうか?私はそのようには思いません。それは1990年以降の歴史が明らかにしています。

 1992年には、国際平和協力法に基づきPKOの一環としてカンボジアへ自衛隊が派遣されました。220名の隊員中、医官3名、歯科医官1名を含む20名の衛生班も置かれていました。
そして1993年、モザンビーク、1994年、ザイールのゴマと立て続けに自衛隊は派遣されました。ゴマでは医官が2か月間で2100人の治療と70件の手術を手掛けたと記録されています。
この後も、1996年、ゴラン高原、2000年、東チモールと派遣は続き、そして2003年のイラク派遣に至っています。

 紛争地域でのPKO活動のための自衛隊の海外派遣は、この10数年の実績により国民的な認知を得たように思えます。この国民的認知に至る捨て石になったのが、我々が参加した1990年の湾岸危機時の医療隊であったのではないでしょうか。湾岸危機時の人的貢献失敗を踏まえ、紛争地への派遣は、やはり自衛隊でなければ駄目だという国民的な同意が形成されました。自衛隊は、その国民的同意を裏切らず、
その後の度重なる派遣においてきっちりと成果を残しました。ということで、我々の医療隊は、捨て石ではあったけれども、日本の国際貢献のための第一歩になったと自負している次第です。

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木戸友幸
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