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いよいよリヤドへ
 11月3日の午前8時半に外務省差回しの車が赤坂のニューオータニに迎えにきてくれました。成田空港で、自宅から直接来た東京の某大学病院外科勤務のK医師と合流し、午後12時20分のインド航空機で成田から出発しました。このインド航空機はかなりオンボロの飛行機で、フライト中に戸棚の蓋が開いたりするのです。
客室乗務員が上の戸棚は手で押すのでが、下の戸棚は足で蹴って閉めてました。
途中、バンコクでサウジ・エアーに乗り換え、現地時刻の午後11時半にリヤドに到着しました。

 空港には、日本大使館のK医務官が出迎えてくれました。彼には大阪から連絡をとって、現地情報を送ってもらっていたのです。リヤドの11月の夜は意外に涼しく、空気はもちろん乾燥していて心地よかったです。空港からホテルまでの夜のリヤドの風景は、これまた意外なものでした。高層ビルこそまばらですが、道路は東京・大阪を遥かに上回るロサンジェルスなみの高速道路網なのです。

 到着したホテルは、アル・コザマというスイスのホテル・チェーンが運営しているホテルでした。清潔で広く、十分国際水準に達するものでした。清潔な水をたたえた屋外プールもあり、滞在中何度か利用しました が、人も少なく快適でした。(お国柄、水着の女性はいませんでしたが・・・。)

 翌日は在サウジアラビア日本大使館を恩田大使以下の大使館の職員に挨拶をしました。リヤド駐在中のほとんどの時間をこの日本大使館の会議室で過ごすことになるのですが、大使館にまつわるさまざまなことはまた別の機会にご紹介することにします。

 午後からホテルに帰り、その夜はホテルのコーヒー・ショップで先遣隊から引き続いてリヤドに滞在している日本医療隊のメンバーが我々医師二人の歓迎パーティーを開いてくれました。お国柄、ホテルでもアル コール厳禁なので、もちろんこのパーティーもアルコール抜きでした。
アルコール抜きのパーティーなんて、それこそ高校時代以来のものですが、なんだか新鮮でよかったです。でも、根がアルコール好きの私にとっては、これがじわじわ悪影響を与えていくことになるのです。このことも追々お伝えします。

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木戸友幸
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