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最悪のJet lag

 Jet lagとは時差ボケのことです。これまで海外を飛び回ってきて、時差ボケも軽症から重症までいろいろ経験しました。これまでの、人生の中で最悪の時差ボケは何といっても1980年7月に経験したものです。そうです、この年に僕は渡米し、3年間のレジデント生活を開始したのです。

 レジデント生活の開始当座は、ブルックリンにあるキングス・カウンティ病院の寮で宿泊することになっていまいた。しかし、それもいろいろ書類の手続きを済ませてからのことですから、一週間はホテルを予約していたのです。それも、マンハッタンではなくて、病院のあるブルックリンのホテルを!その当時は、ニューヨークに訪れる日本人観光客もまだまだまれで情報も少なかったんです。でも、よりにもよってブルッ クリンのホテルを予約するなんて、今から考えると恥ずかしくなるほど世間知らずだっ たんですね。

7月中旬にケネディ空港に到着し、件のブルックリンのホテルまでタクシーで向かいました。ホテルが近くなると、自身がちょっと怖そうな感じのタクシーの運ちゃんがわざわざ「この辺はちょっとやばい界隈なんで、気をつけなよ!」と忠告してくれるではありませんか。確かに、タクシーを降りて、ざっと周りを見回すと、何となく運ちゃんの言ったことが納得できました。

翌日に病院に出向くことになっていたので、その日は荷物の整理などで過ごしたのですが、夜になっても目が冴えてしまって、寝付くことが出来ません。ホテルの染みがついた天井を見つめながら、これから3年間、本当にこのブルックリンで生き延びていくことが出来るんだろうかと、思いはどんどん悲観的な方に流れていきます。結局、夜が白々と明けてくるまで一睡も出来ませんでした。

さて、翌日、病院に出向き、何人かの病院関係者との挨拶をこなし、昼前になると今度は猛烈に眠くなってきました。指導医の一人から、「君はJet lagがひどいようだから、今日はもうホテルに帰って、休んだほうがいいよ。」と言われてしまいました。 確かに、どうしようもないほど眠いので、ホテルに帰り、ちょっと仮眠を取るつもりで、ベッドに横になると、何と夜の9時頃まで熟睡してしまいました。その時刻にな ると、ホテルの外には出歩くのは危険なので、部屋で過ごすしかありません。でも、 昼間寝てしまっているし、もともとの時差ボケがあるので、二日目の夜も一睡も出来ませんでした。

この調子で、一週間にわたり、この睡眠サイクルの悪循環による時差ボケは続いたのです。後にも先にもこれを越える時差ボケは知りません。極度の不安とそれに伴う抑鬱気分がその理由であろうと今から振り返って、診断を下しています。

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木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp