Dr.Kido History Home
E-mail

ブルックリン便り  

ボタン ブルックリンこぼれ話(7) ボタン

 

我が人生最大の試練

 81年の1月だったと思います。その頃、僕は内科病棟のローテーションでした。女性の上級レジデントと馬が合わず、事あるごとに辛く当たられました。また、受け持ち患者にも重症患者が多かったのです。その中でも一番重症だったのが、黒人の中年男性で、腹部の癌の手術の術後で内科に入院している患者でした。感染症を起し、何とか抗生物質で治療し、やっと退院までこぎ着けたのです。

ところが、退院して1週間 も経たないうちに、また高熱がぶり返したということで、ERに電話がかかってきたのです。その日のERの当直レジデントがそのまま緊急入院させればその彼が主治医にな るのですが、親切(おせっかい?)に前の主治医は誰だと聴いて、またその患者がちゃんと僕の名前を覚えていてドクター・キドと答えたんです。そのため、翌日普通に来院して、そのまま入院し、また僕が主治医になりました。もちろん、この病棟ローテーション中は、3日に一度の30数時間労働=当直というのはずっと続いています。

この重症患者が出戻りしてきた頃から、僕の精神の平衡状態はかなり崩れかけていたので す。その日は当直じゃなかったので、夕方5時にアパートに戻り、気分を変えるために、近所のショッピング・モールに車で出かけたのです。買い物から戻り、駐車場に戻ると、停めてあったはずの車が見当たりません。やられた〜と思いました。中古の クライスラーですが、つい先日タイヤを新品に換えてあったんです。それを狙って盗まれたのです。それからが、大変です。警察に盗難届けを出して、保険会社に電話して、明日からの車の調達をレンタカー会社に頼んで・・・。書けば簡単ですが、初めての体験なので、なかなか事ははかどりません。もう頭はパニックです。

翌日、本来ならば朝6時起きで6時半には出発しないと間に合わないのですが、起き上がる気力がないのです。勿論その日が当直で、起きれば最後、30数時間働きづめとい うのも潜在意識にあったのでしょう。なにしろ、起き上がれないのです。朝8時に電話が鳴りました。恐らく病院からだろうと思って出ませんでした。それからも1時間おきに電話が鳴りましたが、放っておきました。

夕方、5時過ぎに今度はアパートのドアのベルが鳴りました。これは出ないわけにいかないので、出るとその時のチーフレジデントのフィリピン系アメリカ人、オルリーでした。彼は、チーフレジデントの業務の一環として、欠勤レジデントの様子を見に来てくれたのです。事情を正直に話すと、彼は「心配しなくてもいいよ。こんなことはアメリカ人のレジデントでも日常茶飯事のことだよ。大事なのは、後をどうフォローするかだ。僕が、内科病棟には連絡を入れて、トモユキは体調を崩したので、今月は代わりのレジデントを調達してもらうようにしておくよ。あとで君からも電話するんだよ。そしてトモユキはとりあえず、今月のあと2週間は休養しろよ。それと来月からのローテーションはデューティーが軽めのVA(在郷軍人病院)にするように手配しておくから。ノープロブレム(問題なし)さ。」
その時、チーフのオルリーが神様のように見えました。もちろん、彼とは現在に至るまで親交が続いています。

この試練を境に、僕の精神面でタフさが育ってきたように思います。また、人が精神的に崩れる時の兆候の察知に鋭くなり、以前よりずっと他人に親切になれるようにな りました。

| BACK |

Top

木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp