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小児科病棟
 先日、「コーラスライン」という評判にミュージカルを覩に行った。これは競争の激しいブロードウエイのミュージカル界で若者たちがいかにそれを勝ち抜いていくか、あるいは脱落して寂しく去っていくかを描いたものだが、この競争社会は即ち、アメリカの社会そのものであって、レジデント制度等は、その典型と言えるだろう。
 第1回にFamily Practice Centerのことを書いたが、あれは外来のことのみで、いくら言葉にハンデイがあるといっても、仕事としては比較的、楽であった。九月から各科をローテイトすることになり、まず、その最初が小児科であった。そこで実際にトレーニングを受けてみて、始めてその「きつさ」を我がものとして感じた次第である。私が配属されたのは対象が二歳以上で30ベッドぐらいの一般小児科病棟であった。そこでは三人のジュニアレジデント(一年目、その中の一人がDr. Kido)が患者を分担し、一人のシニアレジデント(二年目)が約30人の患者全てを把握し、時にいろいろな指示をジュニアに与える。
 小児科は三年目はチーフレジデントになるのだが、チーフは二歳以下の病棟や小児ICU等の全ての患者を把握していなければならない。朝八時の、ジュニアとシニアのみの回診で病棟の一日が始まる。この回診では主に、前日当直のジュニアが新入院の報告をする。このときシニアは病棟で不足している部分の指摘や、治療についての指示などを行う。 十時からはアテンデイングと呼ばれる助教授クラスのドクターの回診がある。したがってこの二時間の間に、ナースへの指示や採血等を済ませてしまうわけである。余談ながらこの採血と静注には大いに閉口した。何しろ日本では子供の注射はただの一回もしたことが無いところへもってきて、こちらの子供は痛がり方もそれは大げさで、それこそ病棟中に響き渡るような声で泣き叫んで暴れ回る。最初のうちは、それをなだめるだけで体力の二割方は使い果たしてしまった。
 さて、このアテンデイング回診では、特に問題のある患者を選んでデイスカッションをする。この時はアテンデイングから鋭い質問がとぶのであるが、日本の、特に大学の教授回診のように型式ばったところはなくて、レジデントの方で反論のあるときはーしばしばこれは屁理屈的なことさえあるー対等に議論し合っている。このあと、ランチタイムまでの時間は週のうち三回程度、レクチャーがある。午後はward workに当てられ三日に一度の当直のときは、新入院を診なければならない。    

 つらい当直、、、  
 この当直であるが、これがレジデント生活で一番、辛いものであることは衆目の一致する所である。年配のDr.によると、何でも昔はレジデントは隔日の当直をしたそうである。午後五時頃に、ジュニアとシニアによる一日、最後の回診が済むと、当直以外の者はまさしく逃げるように帰ってしまう。当直医のまず最初の仕事は、病棟患者の、定時静注や点滴の刺し直しなどの雑用である。
 そうこうしているうちに、Emergency Roomからの入院の連絡がくる。夜の救急入院というのはだいたい数種類の疾患に限られている。即ち、喘息、Sickle cell crisis、肺炎等である。Sickle cell diseaseというのは黒人の遺伝性疾患で、そのcrisisとして一番多いのが変形した赤血球によるembolizationによって引き起こされるpainful crisisである。治療は原則的に大量の輸液と鎮痛剤で、症状は割と早く治まる。
 当直はジュニア、シニアの二人の組で行い、ほとんどの入院患者は二人で診る。違いはHistory, Physicalのあとの点滴、採血、白血球のアナリーゼ、グラム染色等の時間を食う部分をジュニアが一人でするので、それだけ寝る時間が少ないという所である。たまに、深夜過ぎの入院にシニアが起きてこないことがあるが、そういうときシニアは朝早く起きて、コソコソとジュニアのチャートの記載を写している。その逆はまずありえない。 一度、一晩の当直の間に七人の入院を経験したことがあるが、その時は六人目を午前三時頃に診終わって、もうまさか来ないだろうと思っている矢先、diabetic ketoasidosisという大物が最後に入ってきて、結局、文字通り、一睡も出来なかった。同じような顔の子供が、同じ病気で入ってくるのと、眠くて頭がボケているのとで、翌朝の回診のときは患者を混同して、しどろもどろで、さんざんであった。

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木戸友幸
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