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寿司屋を巡る冒険

 日本人がニューヨークに住んで一番有り難いのが、日本レストランが豊富に存在することです。
その中でも寿司屋がもっとも多かったようです。まず、僕がマンハッタンで住んでいたアパートの通りをはさんで一軒寿司屋がありました。その名もずばり、Japonicaといいました。ここは、時間に少し余裕が出来てきた滞在1年半頃からは月2回ほど通っていました。

  マンハッタンの南のビレッジと呼ばれる界隈で、日本人の商社マンはあまり見かけない地域でした。ですから客はもっぱらアメリカ人でした。しかし、板前はちゃんとした日本人でそれも関西人でした。一人で行くときはいつもカウンターに座って、その板さんと関西弁で駄弁ってました。

 その板さん情報によると、マンハッタン在住の映画スター達も客として訪れるそうですが、僕は出会ったことがありませんでした。「センセ、昨日来てくれたはったら、メリル・ストリープと会えたのに。」といった類いを何度が聴かされたことがあるので、板さん情報はちょっと眉唾だったのかも知れません。

 和食材を多く置いたダイドーというスーパーが当時、クイーンズ地区にあり、そこにも車で買いだしによく行きました。そのスーパーの隣に寿司屋がありましたが、買い物の後、そこでもよく食べたことがあります。そこの板さんは、まだ二ユーヨーク生活を始めたばかりの若者で、行くとよくいろいろな質問を受け、健康相談などにも答えてあげたので、いろいろサービスしてくれました。

 一度、コロンビア人の女性研修医に寿司屋に連れていってと頼まれたとき、このクイーンズの寿司屋に連れて行きました。その時も、彼のサービスと僕らのフレンドリーな会話を、その研修医が気に入ってくれました。残念ながらその後スーパーが放火により全焼し、その寿司屋も類焼で潰れてしまいました。

 寿司屋を巡る冒険でトリをとるのはやはり「瀬戸寿司」でしょう。
現存するかどうかは知りませんが、瀬戸寿司は、当時、寿司屋というより日本レストランで始めて、ミミ・シャラトンのレストラン・ガイドで三つ星をとった店なのです。このレストラン・ガイドはニューヨーク・タイムズに連載されていたもので、ニューヨーク子にはかなり知られたものでした。確かにこの寿司屋はいい材料を使っており、味は日本の高級寿司屋にまったく引けをとりませんでした。値段も安くはなかったですが、日本の大都市の高級店よりずっとリーズナブルな価格でした。

 あるとき、日本からの客をこの瀬戸寿司に案内し、おいしいおいしいと言って食べてもらっていました。すると、カウンターで握る板さんの後ろの壁をニューヨーク名物のゴキブリがツツ〜と横切っていったのです。僕自身はそれに気付かない振りをしていましたが、多分、その客は気付いたんだと思います。その後、寿司を注文するペースが目に見えて落ち、お茶ばかり飲み始めましたから。

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木戸友幸
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