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マウイ島での休暇、前編

 83年6月30日、辛くもあり、楽しくもあった3年間のブルックリンでのレジデント生活も終了し、晴れて修了証書ももらいました。僕は、書類の関係で、3年前の7月半ばに渡米していましたので、ちょうど3年後の7月15日に帰国すればいいのです。(このあたり、公務員の留学というのはやけにきっちりしているんです。)
そこで、僕は一週間は引っ越し荷物の整理にあて、最後の一週間をマウイ島でゆっくり過ごすことに決めました。引っ越し荷物作りの合間に、ダウンタウンの東京銀行に口座の整理に行きました。このレジデント留学は国費留学だったのですが、当時にしてはかなり多額な滞在費を貰っており、金利は10%ときていましたから、そこそこの金額が残っていました。まとまった額を、日本の自分の口座に送金し、3000ドルを100ドル札で別にしてもらい、ポケットに突っ込んで東銀を後にしました。
ダウンタウンの東銀はウォール・ストリートにあり、今は無きWTCは上を見上げればすぐそこにあります。その日は初夏の上天気の日で、ポケットに3000ドルを突っ込んで、太陽にキラキラ輝くWTCを見上げながら、歩道で商売している屋台のホットドッグを頬張りつつNYC最後の日々の感慨にふけったのを思い出します。

 マウイ島での休暇は後編に記します。
その前に、この年の7月4日の独立記念日の花火は、イースト・リバーの特等席で日本人仲間と見物しました。友人のもてもて男のO君は、女性連れで来ていました。浴衣姿のちょっと年上の日本人女性でした。当時、赤川次郎のミステリーがはやっており、その夜、皆が僕のアパートに寄っていった時に、その彼女に本棚にあった赤川次郎の文庫本を5〜6冊進呈したら、大層喜こんでくれました。

 7月上旬はマウイでの休暇までは、引っ越し準備期間(といってもたいしたことないのですが)としていました。日本に送る荷物は段ボール箱3箱に収まってしまいました。処分に困ったのは、3年間で読んだ文庫本でした。前述の彼女にあげたのはたったの5〜6冊です。残りの200冊位は捨てるのもったいないし、日本にわざわざ送るほどのこともないし。
そこで、はたと思いついたのが、通りをはさんであった、すし屋に寄贈するというアイデアでした。このすし屋は当時「Japonica」という草花の学術名みたいな屋号だったのですが、すぐ近所にあったのと、握ってくれる職人さんが関西人だったという二つの理由から週に一度は通っていました。ある週日の午後、台車に山と文庫本を積んで、店を訪れ、皆さんで読んで下さいと、趣旨を説明すると、店長さんが非常に喜んでくれました。
数年後、ニューヨークを訪れる機会があり、この店に寄ったら、顔見知りの店員がいました。あの文庫はまだ残っていて、日本人店員には喜ばれているとのことでした。

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木戸友幸
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