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マウイ島休暇、後編

 マウイ島に着くまでに、JFKから数えると待ち時間も含め確かほぼ丸一日かかったと記憶しています。アメリカ大陸横断に5時間、LAでの乗り継ぎ待ちで2時間、ホノルルまでのフライトが8時間、ホノルル空港での待ち時間2時間、マウイまでのフライトが1時間ざっとこんなところでしょうか。
でも、マウイの空港に着いたときも、元気いっぱいでした。これから、一週間は何もかも忘れてひたすらボケ〜っと過ごそうと決めていましたから、一日寝なくてもへっちゃらだったのです。


マウイ島にかかる虹

 空港からカーナパリにあるシェラトン・マウイまで、タクシーに乗ると、運ちゃんは話し好きの中年白人女性でした。僕が、3年間のブルックリンでのレジデントを終えて、日本に戻る途中で、1週間の休暇をとったことを話すと、いろいろ僕の家族のことなどを質問してきました。開業医の息子で、ゆくゆくはそこをやっていくんだといった話をしたら 、
' You are born with a silver spoon. A lucky Son Of Bitch! '
とボンと背中を叩かれました。
Son Of Bitchは、まず普通は使わないかなり汚い俗語ですが、時と場合によれば、中年のおばちゃんでも愛嬌で使うこともあるんですね。

 翌日からは、テラスでゆっくり朝食を食べながら新聞を、地元紙と本土のもの2種類読んだ後、砂浜に向かいます。ここでも、木陰で文庫本を読みながら、ときどきバーで、ピーナ・コラーダか何かを調達してきて、一杯やります。熱くなったら、ちょっと泳ぎます。夕方にはこの季節、半時間ほどのスコールがあり、その後きれいな虹が出るんです。その虹を観賞した後、ホテルのフロントに寄って雑談していると、レンタカーが借りれるというのです。島の一周ドライブをするには、舗装が無いでこぼこ道もあるので、ジープを借りるといいと言われ、そうしました。翌日半日はレンタルしたジープで、島一周のドライブをしました。広大なサトウキビ畑あり、ジャングルっぽい場所ありと結構楽しめました。

 3日目になると、さすがに少し退屈してきました。朝、やはり、同じテラスのレストランで朝食をとっていると、アジア系の若い女性の二人連れが席に座るのが目に入りました。耳を澄ますと日本語を喋っています。僕はいつものようにマウイの地元紙を読んでいたら、向こうの方から喋りかけてきました。英語で話しかけられたので、英語で答え、そのまま一時間ほどアジア系アメリカ人を演じてましたが、何か阿呆臭くなって身分を明かすと、一時間の付きあいの割には随分雰囲気が和みました。彼女たち、午後からは個人タクシーを観光用に予約しているというので、便乗させてもらいました。このタクシーの運転手兼ガイドは、日系アメリカ人の中年女性で、日本語も上手な人でした。マウイはクジラのウォッチングでも有名なのですが、そのちょっと前にテレビのドキュメンタリー番組で観た、クジラの大洋での通信機能について、英語で講釈すると、そのおばさん、すごく知的で正確な英語だといって褒めてくれて、嬉しくなってしまいました。降りるとき、もう料金は払い済みだったのですが、飛び入り料としてチップをはずんじゃいました。やっぱり、商売では向こうが一枚上手だったのかな。

 夜は、シェラトンの隣の何とかいうホテルのレストランが、庭が綺麗という評判だったので、3人で行くことになりました。食前に何かカクテルをということになり、僕はマティーニ、彼女たちにはスウィート・シェリーを注文してあげました。' A Dry Martini with olive, whithout ice. Make it very dry, please. And sweet sherry
for girls. ' とレジデント仲間のゲイのスティーブ(僕のアメリカでの社交術の教授)に教わった通りに立板に水の如く注文すると、女の子二人は尊敬の眼差しでこちらを見つめます。(一つ間違えば、結婚詐欺師になってたかもね。)もちろん食事の間も大いに盛り上がりました。

 翌日からは、その日本からの二人に、それこそかしずかれて過ごしました。日中はテニスをして、テニスが済んだら、ホテルの中庭の芝生の木陰の寝イスに座らされ、どこかから調達してきてくれた昼食と冷たいビールをご馳走されました。頼めば、二人でバスルームで身体まで洗ってくれたかもしれません。(実際は頼まなかったですよ!)二日間、ちょっと奇妙な王侯貴族の生活を味あわさせてもらった後、彼女たちは去っていきました。帰国後、その一人から、スナップ写真と手紙が届きました。地方の開業医の娘さんということでしたが、ちょっと懐かしくは思いましたが、特にどうという進展はありませんでした。
まあこんな具合に僕の青春後期の記念碑であるニューヨークでの3年間の生活は、終わりを告げたのです。

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木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp