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行動科学
 行動科学というのは、英語のBehavioral Scienceを私が勝手に日本語に訳したものだが、心理学と精神科をミックスしたような分野で、255ある米国の医学部の正式履修科目の一つである。Visa Qualifying Examination(米国留学試験)の必修科目としても入っていた。
  さて、Family Practiceではこの行動科学が Board Requirementの一つになっているので、三年間のトレーニングのうちの何カ月かをこの科目に当てなければならない。しかし、この行動科学というのは講義ならたやすくできるが、その臨床応用のトレーニングとなるとなかなかむずかしいものである。事実、小さな病院しか持たない Family Practiceのプログラムでは、この期間を丸々、病棟の精神科に当てているところも多くある。
 その点、規模だけでは全米でも一、二位を争うキングスカウンテイ病院を関連病院に持つ我々のプログラムでは、行動科学に関してはほぼ理想的なトレーニングができる。我々は二年目に二ヶ月間、このローテイションを取る。
 さてここで一週間のスケジュールを実際に書き出して、このプログラムがいかに多彩であるかを示してみよう。まず月曜の朝は、心身医学のカンファレンスに出席する。この心身医学(psycho-somatic medicine)は独立した科になっていて、特に内科との結びつきが強く、内科で日常よくみかける境界領域的な患者のコンサルテイションを引き受けている。Liaison Psychiatry (Liaison=結合とか連結とかの意味の仏語)という名で呼ばれることの方が多く、一年目に内科でインターンをしていた時、Liaison Consultという言葉をよく聞いたものだった。我々が回っていたときは、この科が心筋梗塞の直後の患者の心理についての臨床研究をやっていた時で、毎回、興味深い入院患者の実際のインタビューから始まって、そのデイスカッションをその後でするという形式であった。
 月曜の午後は、心身医学のフェローと共に、内科病棟の患者で最近Liaison Consultを受けた者の回診をする。その中で印象深かったのは20代半ばの男性で、もう五年以上人工透析を受けていて、つい数週間前に2回目の腎移植の試みに失敗して、その当時、連日高熱に苦しめられていた患者だ。彼は完全にデプレッションに陥っていて、自殺の手段としての透析の拒否をはっきり口にしていた。他にも若年者の透析患者には大なり小なり心身医学的な訴えがあるようである。
 火曜の午前は、キングスカウンテイ病院の中でも訪ねた者がほとんど無いような敷地のはずれにあるN Buildingで、知的障害の子供の外来に出る。ここでは普通の外来の他にグループセラピーもやっている。これは外見は幼稚園と同じような感じで、保母さんの替わりに心理学者のお姉さんが子供と遊びながら治療するわけである。私が回っていたのはちょうどクリスマスの前で、その子供たちのクリスマスパーテイーに招待されたが、一見おとなしそうな彼らがちょっとしたきっかけで泣きわめいて取り乱すということが、二時間足らずの間に何回かあった。やはり保母さんよりは大変な仕事のようだ。
 水曜日の午前は心身医学のJournal Clubniに出席する。ある日のペーパーの中の引用文献に、土居健郎の甘えに関するものが出てきて、その説明が少し抽象的すぎて分かりにくく、具体的な説明を求められた。たまたま日本で`甘えの構造`は読んだことがあるので、色々な具体例を挙げて説明し、大いに面目を施した。
 午後は、我々のFamily Practiceの精神科領域のアテンデイングであるドクター ホフマンと一緒に精神病棟であるG Buildingへ出掛ける。一人の患者を選び出して30分くらいのインタビューをされられるのである。その後、患者を帰して、診断に至る過程、診断、治療などについてドクター ホフマンとデイスカッションするのである。この際、我々はあくまでも家庭医として精神疾患をスクリーニングするという立場をとっているので、あまり専門的な方面の話より、より応用範囲の広い問診のコツー例えば、患者が子供のこととか母親のこととかという、よりemotionalな話題を口にした時、すかさずこちらから核心を突くような質問をするとか、maniacな患者でこちらの質問を冗談ではぐらかしてしまうような場合は、しつこすぎる程、言葉を変えて同じことを質問し続けるとかいうことーに重点が置かれる。
 今でも覚えているが、最初にインタビューさせられた患者は典型的な分裂症なのだが、私がどうして入院したかと尋ねた時に、ただ一言 'Boots'と答えるのだ。こちらは何のことか判らないので三回同じ質問を繰り返し、やっと彼がブーツが脱げないから入院したと言わんと欲していることが判った。それにしても奇妙な主訴である。 木曜日、これまた一般の医師にはなじみの薄いK Buildingを訪れる。ここはアル中と麻薬中毒のリハビリ病棟(Detoxificationと正式には呼ぶ)である。空床があることは先ず無い。アル中病棟の医師は、我々レジデントのために回診の時、いつから飲み始めたとか、何を主に飲んでいるかといった質問をいちいち繰り返してくれた。平均して14ー15歳から飲み始めるようだ。一人、Sake(サーキ)が一番好きだという黒人がいて少し驚いた。
 麻薬中毒はヘロインがコカインが多いが、それ以外にも大量のトランキライザー等を同時に何種類か使っていることが多いようである。こちらでValiumという商品名の diazepamの5 mgの錠剤を一日に10錠-20錠も服用しているのだからあきれる。もう一つ驚くのは、その殆どが医師に合法的に処方してもらったものなのだ。つまり複数の医師を訪れて、その都度巧妙に症状を捏造して処方箋を書いてもらうわけである。
 医師が完全に悪い場合もある。これは最近、新聞種になったのだが、ストレスクリニックという看板で一応の身体検査はするが、目的は睡眠藥を求めてやって来る中毒患者に、ほぼ無差別に処方箋を書いてやることにある。医師には仕事の割には法外なアルバイト料が支払われていたそうだ。
 麻薬病棟のドクターがあきらめ顔で話してくれた。いくらここでDetoxificationして退院しても、病院のすぐ前の通りで公然と藥の取引が行われているのだからどうしようもない、と。
 さて、週の最後の金曜日の午前中は、小児の心理テスト外来に出る。これは全出の知的障害外来とはちょっと違っていて、もっとスクリーニング的なものだ。即ち、一般小児科の外来で知的障害とかHyperacitivityとかの疑いと診断されたものがここへ送られてくる。心理テストを行うのはドクター トバックだが、彼はMDではなくて ph.Dである。彼は心理スクリーニングテストの本も書いており、その方面ではなかなかの権威である。人の絵を描かせて子供の精神的な発達上達を判断する方法だとか、もし人間以外ならなりたい動物は何か、また何故かと尋ねて、子供の内面の心理を巧妙に探るといったユニークなやり方を教わった。彼に言わせると、最近のブルックリン地区、特に低所得の家庭の児童は絶望的な状態に置かれているそうだ。要するに主に経済的な理由で母親が日中あるいは日夜働いているので、まったく子供のことを知らないというのだ。ひどい例になると、三歳になるまで自分の子供が聾唖であることに気づかずにいて、その子は早期に発見されればならずにすんだ知的障害になってしまったという。
 午後は、心身医学のアテンデイングのドクターナデイルと共に一般内科の外来に出て、その中から患者を選び出しインタビューする。ドクターナデイルはきついロシア語なまりの英語をしゃべる女性であるが、肥満の心身医学な側面に関心を持っていた。一度、肥満女性をインタビューしたことがあった。我々レジスタントが色々質問しても、一日に三度の食事をしているだけでどうしてこんなに肥るのか判らない、というような返事が返ってくるだけであった。しかしドクターナデイルが、まずその患者がハイチからの移民であることを確認した後、家族と別れてこちらで一人暮らしをしていること、ボーイフレンドともうまくいっていないことなどを次々に聞き出していき、最後に患者に向かって、「夜、一人で寂しいときはテレビを観ながら、寂しさを紛らすために手当たり次第に何でも食べてるんじゃないの?」と優しくたずねたところ、それまでにこやかだった患者が突然、ワッと泣き崩れ、ドクターナデイルの言う通りで、自分がいかに寂しい人間であるかということを、切々と訴えた。その後、Family Practice Centerでの私の外来患者を観察していて判ったのだが、アメリカ人の中にはデプレッション患者の多くの者が、それが原因で肥満しているのだ。以上、行動科学での一週間を紹介した。

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木戸友幸
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