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L'ETE 1975  

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29)知らぬが仏続、そしてエピローグ

 「君だろう、去年の夏休みに2週間夏休みを延長する届けを教務課に出して、フランスに行ったのは。その届けが出た直後の教授会で、これが結構問題になったんだよ。教授の中でもくそ真面目な幾人かは、停学まで口にしたんだぜ。でも僕は言ってやったんだ。雀荘に入り浸りで代返で誤魔化している学生にはおとがめなしで、フランス語夏期講習に行くのに正直に届けを出した学生が停学処分ですかとね。そしたら、連中、黙ってしまって、それでこの件は終わりになったのさ。」
「ええっ、そんな大事になっていたんですか。知りませんでした。
M先生のお陰でおとがめなしになったんですね。知らなかったこととはいえ、どうもありがとうございました。」と何と時期外れ、かつ間の抜けた感謝の言葉を述べました。その後、我々はぐっと打ち解けた雰囲気になり、M教授は、アメリカ留学時代のエピソードを面白おかしく話してくださいました。

 私は医大に入学した時から、卒業したら少なくとも数年の海外留学をして、医学とそれ以外のさまざまな体験もしてみたいと決心していたのですが、その時その決意をさらに強くしたのです。当時はフランス体験から間もない頃だったので、フランスへの留学もかなり真剣に考えていました。実際、フランス国費留学生は学部別に募集していたのです。医学生はフランス語を学習している者が少ないし、そのフランス語レベルも低いので十分合格する可能性があったのです。

 それ以後留学情報を十分収集し、結局は医学優先で、米国への臨床留学すると決定し、その試験対策にも6年の夏以降、真剣に取り組み、卒後3年目に渡米することになったのです。英語は3年間の臨床留学のお陰で、かなり上達しましたが、あれだけ熱心に勉強したフランス語は、長い間使う機会もありませんでした。でもひょんなことから、40代半ばで、パリで2年半仕事をする機会が巡ってきました。今から振り返ると、若い時会得した技術は、将来何かの形で絶対役に立つんだという思いが強くします。このサイトの読者の若い人たちも、忙しくても、何か好きなことを見つけた時は、あきらめないで出来るだけチャレンジするようにしてください。将来、そこから何かが生まれるはずです。

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木戸友幸
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