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ボタン パリ、アメリカ病院便り(10) ボタン

10)最終回
 Dr.Kido
  96年11月には筆者の後継者が当院を公式訪問した。あとは既に軌道に乗っている診療をこれまで通り続け、97年夏に後継者に引き継ぎをするのみである。別に今までも肩に力を入れてやってきたつもりはないが、それでも何となくほっとしたというのが正直なところである。
 さて、95年春からこのパリ、アメリカ病院で日本の医師免許での資格でとしてはフランスで第一号の医師として診療を1年半にわたって行ってきた。その各論についてはこれまでの9回のシリーズでお伝えしてきた。今回はその最終回として、今回の筆者の体験あるいはこれまでに筆者が海外のさまざまな医療現場で積んできた体験を踏まえ、類似のことを志向される若手医師あるいは筆者のように気は若い医師(young doctors at hearts)にメッセージを送りたい。

*まず医学界の常識をはみ出してみよう。
 国立大阪病院で研修医の指導医をしていた頃、彼らに筆者のレジデント時代のことを話して聞かせるとその多くは目を輝かせて聞いていた。しかし現実はリスクを冒して医局を飛び出ようとする者はほとんどいなかった。もし海外で自分の実力を試したいと本当に思っているのなら、ある程度のリスクを冒してでもまず自分の欲求に忠実になることである。リスクのないところに面白みはないし、何といっても人生は一度しかないのだから。 日本の医師が自らの意志で海外に出ないのは、大学医局という大樹に寄っていたいというのが本音だろう。しかしこれだけ医師数が増加したこの時代に医局が個人の医局員のことをどれだけ考えてくれるだろうか。医局に属さない(少なくとも100%拘束の形で)ということは現在、少なくとも筆者にとっては、無謀であるより理性的な判断であるように思える。医局の掟を長年守りとおして例え首尾よく教授になったとしても果たしてそれだけの価値が今の時代にあるのだろうか。周りの教授連中を見渡して果たして何人の教授が楽しく満足に仕事をしてるだろうか。

*ネットワークと語学
 医局を飛び出すといっても一人では何もできない。個人的な人脈を作り上げるのであある。出来るだけ年令の近い人間でこれはと思う人物は自分のネットワークに取り込もう。最初は出来るだけ広い範囲から人を選ぶ方がいい。人生何が起こる分からないから別に海外志向の人を選ぶ必要はない。ネットワークは双方向のものでなければギブアンドテイクにならないので、自らも与えられる物があるようにいつもアンテナを張っていないといけない。さて、具体的なネットワーク利用方は、まずどこの国で何がしたいかということを決めたら、それに向けて数年単位のがおおざっぱな戦略をたてる。このときにはある程度スペシャリスト的な人物からの情報が必要になる。しかしその後のさまざまな局面ではバランス感覚で臨機応変な対処が必要になる。その時に広い分野からのネットワークが生きてくる。筆者の今回の体験を振り返ると、この仕事の情報を提供してくれ、最後までサポートしてくれたのは、米国留学時代からの友人である。十数年前にサンフランシスコで筆者がフランス語も勉強した経験があることを彼に話したことを、彼が覚えていたことが今回の仕事のきっかけになったのである。
 海外で仕事をするには外国語が必要になるが、医学においては英語は世界の共通語といっても過言ではないようである。しかし今どきちょっと気の利いた医者なら英語は話すことも含め、かなりの者が堪能である。したがって自分の特殊性を主張できるためにぜひ英語プラスもう一つの外国語の学習をお勧めしたい。筆者の場合はそれがたまたまフランス語であったのだが、使用人口やこれからの可能性を考慮すれば、中国語やスペイン語も悪くない選択だと思われる。外国語の学習と前に述べたネットワークを関連させて、自分が学習している外国語の国の人物に渡りをつけて、自らのネットワークに取り込むというのも一石二鳥のアイデアである。

*具体的なキャリアーの始め方
 筆者自身の海外体験の始めは米国でのレジデンシーである。それ以後途中で宗旨変えすることなくずっと臨床家として現在に至っているが、臨床で海外で活躍したければ、米国でのレジデンシーはそのとっかかりとして最適であると信じている。米国は次第に外国人に対しレジデンシーの門戸を閉ざしつつあるが、原則的には今でも世界一外国人にオープンな研修制度を保っている。また米国は今や世界で唯一のスーパーパワーであるので、その国の資格は世界の津々浦々で威力を発揮するのも事実である。アメリカ病院に採用される際も、米国での資格が決め手になったことはもちろんのことである。
 臨床以外で医師の資格で国際的に働く道にWHOで国際公務員としてキャリアーを積むという方法がある。この場合は日本の厚生省に医系技官としてまず入省するのが一番近道かもしれない。そうすると制度として数年間、海外の大学や大学院に留学させてくれる。そこで将来のキャリアーの初歩を、それも国費で学習できる。また国際公務員の場合、日本人であるということが現在非常にプラスに作用する。女性であれはなおさらのことである。日本が国連に拠出している金額と人的貢献のアンバランス、それに国際的な女生登用の風潮がその理由である。

 さて以上おおざっぱなアドバイスを述べたが、日本人の医者が海外で働くのに今ほどいい時期はないと思われる。誇張ではなく、この分野を目指す者はあまりに少ないので競争は存在しない。必要なのは強い意志と忍耐力のみである。それらは語学学習と資格試験の突破のための資質であるが、これらさえも強い動機づけがあれば、苦しみであるより喜びであったように思われる。読者の皆様の奮闘努力を期待しつつ、この連載を閉じたいと思う。

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木戸友幸
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