Dr.Kido History Home
E-mail

ブルックリン便り  

ボタン パリ、アメリカ病院便り(5) ボタン

5)パリの芸術留学生

エッフェル塔 95年7月の3週間は休暇をとって、ニューヨーク経由で神戸に帰っていた。ちょうどそれと時を同じくして、パリでは帰国前に取材を受けていた朝日新聞衛星版と当地の日本人会の会報の2紙に筆者の記事が出た。さすがにマスコミの威力は大きく、休み前まで月に50ー60人であった患者数が8月から一気に月100人に増加した。
 さて、現在フランスには大使館に届け出を出している邦人が1万数千人存在し、そのほとんどがパリとその近郊に住んでいる。彼(彼女)らの内訳は日系企業の駐在員、日本大使館勤務あるいは国際機関へ日本から出向している国家公務員などが主なところである。したがってこれらの人々を日頃診察する機会がもっとも多い。彼(彼女)らは、日本社会ではかなりのエリート層に属する人が多く、それなりに筆者の得るところも大きいのだが、それだけに日本のしきたりを色濃く引きずっているので、人間ウオッチングとしてはそれほどの興味の対象にはならない。
 パリにはそれらの届け出を出している「正式な邦人」に加えて、その数を上回ると言われる非届けの留学生が存在する。パリの留学(遊学)生というとバロン薩摩(注)を引合にだすまでもなく昔から一癖ある人が多かったようだが、筆者のこれまでの体験ではその伝説は破られていないようなので、今回はこの話題につき述べてみたい。

 パリの留学生の最大の特徴は何といっても芸術分野での留学生が多いことである。80年代前半に筆者がレジデントとして滞在したニューヨークにもその傾向はあったが、やはりパリがその割合では勝っているように思える。これまでに患者として来院した留学生の勉強内容を頻度順にざっと挙げてみると、音楽、服飾、美術、理容、料理、菓子、舞踊といった感じになる。料理や菓子が芸術に入るかどうかは議論のあるところだが、この国では道を極めた料理人に最高の勲章であるレジオンドヌール勲章が与えられるのだからまず芸術にいれて差しつかえはないと思われる。
 一番数の多い音楽関係の留学生の中でも患者としてもっとも多く訪れたのはピアノ科の学生である。彼女(男性はいなかった。)らの主訴は例外なく、首と肩の強い懲りであった。ひどい人では片腕がほとんど上がらなかった。聞いてみると、普段で数時間、コンクール(試験あるいは競技)の前には7ー8時間も練習するのだそうである。症状がひどくなるのはやはりコンクール前の練習のようで、これには時間的なものだけでなく多分に精神的な緊張も影響しているようである。これだけの時間ピアノを弾いていると、アパートの隣人から苦情がでそうなものであるが、さすが芸術の国だけあって定められたアパートではピアノを専門にしている演奏家の練習は昼間に限り、その権利が守られているそうなのである。ある患者がそのことを教えてくれたのだが、その患者の来院理由は肩凝りではなくて、精神的なストレス状態を起こしている旨の診断書を書いてもらうためだったのである。彼女のアパートも昼間は堂々と練習可能なところなのだが、隣人がそのことを承知でピアノの音に対していつも苦情を訴え、最近ではそれが嫌がらせに近くなり、彼女がそのために精神的に不安定になり練習もままならないというわけなのである。そこで弁護士にも相談して、その隣人を訴えるために、まず診断書が必要ということで受診したのだ。診断書はあまり具体的なことに踏み込まず、当たり障りのないものを書いたが、その結果がどうなったかはまだ聞いていない。筆者のアパートの一階下にも日本人のバイオリニスト(表札からそう思うのだが)が住んでいて練習の音はしょっちゅう聞こえる。でもセミプロの出す音だから今迄不快に感じたことはないのだが。
 音楽でも作曲とか指揮を勉強しているのはやはり男性が多い。彼らは肉体はあまり使わないかわり精神的にはいつもピリピリしているようである。特に何年もこちらで勉強しているのにいつまでたってもチャンスに恵まれない人も多い。その理由が自分に才能がないのか、あるいはただチャンスがまだ巡ってこないだけなのかを決めかねている人がほとんどで、例外なく後者の希望的観測を持っていてもんもんと悩んでいるようである。しかし、彼らは世間話しをするとなかなか博識で、おいしいレストランとか、良心的なワイン屋とかをよく教えてくれる。このあいだなど、趣味で電子音楽をコンピューターを使ってやっているという作曲家が、診察室に置いてあった筆者の携帯用コンピューター(この原稿を書いているマック、パワーブック)の調子の悪いところを器用に修理してくれた。
 バレーを主とした舞踊をやっている人は肉体的に恵まれた人が多い。最近受診した男性で一見三十代の顔つき、頭髪量それに体付きをしているのだが実際は五十代前半の患者があった。彼はもう30年こちらでバレーを続けていて、現在は自ら踊るのではなく振り付けをしているということだった。それにしてもあの肉体の鍛え方はただものではない。ヌレイエフは亡くなってしまったが、ちょうど彼のまだ元気だったついこの間を想像してもらったら一番よく解っていただけると思う。
 フランス語だけを勉強しているという人の中にもだだものではない人がいる。まだ二十代後半の女性なのだが、日本でセミプロフェッショナルにジャズを歌っていたそうで、こちらでは日曜毎に教会で讃美歌のコーラス隊にボランテイアーで参加し、アルバイトでジャズクラブのバックコーラスをやっているというのである。
  印象に残っている留学生(元も含め)をざっと書きとめてみたが、概して女性が元気なようである。どの分野を見渡してみてもどうも同胞の男性は昨今パットしないようである。日本人男性の奮起を期待して今回は終わりたいと思う。

注:バロン薩摩、本名薩摩治郎八。第二次大戦前中にパリに遊学した。親が非常に裕福な問屋業を営んでおり、その膨大な仕送りをもとにパリの社交界で浮名を流した。現存する日本人留学生会館、薩摩館を私費で寄贈したことでも有名。

| BACK |

Top

木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp